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↓『ぼくたちの洗脳社会』(岡田斗司夫著、朝日文庫、1998)より引用(15)
こうしてマスコミの力はどんどん増大し、やがては政治家や科学者にも統制がとれなくなっていしましました。マスメディアの果実は膨らみ、重くなって、やがて科学の樹からドスッと落ち、地面に根を生やし独り立ちしたのです。
今度はマスメディアという大木が育っていきます。「みんなに私の悩みを聞いてほしい」「みんなで考えなければならない問題だ」。人々の不安を吸い上げて、メディアの樹は大きくなる一方に見えます。
現在、マスメディアは相変わらず洗脳行為を独占してはいます。しかし、こうなるとマスコミ内部での矛盾が目立ち始めました。
同じ事件に対する、メディアごとの取り組み方の差が気になり始めます。
どのTV局も同じことを言う時は、かえってウサン臭さを覚えます。
ウラで何かあるのではなかろうか、と勘ぐってしまうのです。こうした疑惑は洗脳装置としては致命的ですよね。
↑(引用ここまで)
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…『みんなで考えなければならない問題だ』。
テレビや新聞をみていて、「それって本当にみんなが考えなければいけないようなことなの?」と私はよく考えます。
環境問題にしろ、教育の問題にしろ、「ひとりひとりが自分の問題としてとらえて云々…」という場当たり的な結論付けに、だいぶうんざりさせられています。
私個人が環境問題や教育問題に興味があるかどうかは、問題ではありません。
むしろ私はマイ箸・マイバッグは常に持ち歩いていますし、ティッシュペーパーも使わないようにしています。子どもの躾や学校教育についても自分で調べ、考え、こうして文章にして発信したりもしています。
しかし、多くの人が「エコ」と言いつつも「快適」を捨てきれないでいるのは明白だし、日本の「教育」なんかよりも、日々の自分の生活で手いっぱいだ、という人も多いと私は感じています。
そんな私も含めた「大勢多数」に向かって「ひとりひとりが云々…」「みんなで考えなければならない問題だ」などといくら声高に叫んだところで、その「洗脳力」などたかが知れているでしょう。
私が思うに、心情的に「自分のことしか考えていないヤツが多すぎる!」と言うのと、「どういう方策が一番効果的か?」と考えることは、全くの別モノです。
確かに、どんな犠牲の上に今日の「快適」が成り立っているかということに考えも至らない「消費者意識」満々の日本人の多さは目に余るものがありますが、「ひとりひとりが意識を持って云々…」という大雑把な意見にこうして難色を示すだけで、「エコを考えない自分勝手な人」「教育問題を自分の問題として考えられない人」「意識の低い人たちを擁護する意見」と決めつけてしまう傾向には、危機感を覚えます。
代案を示すに至らないことを申し訳なく思いながらも、それでも「公」としての自分と、「私」としての自分の境界線をどんどん曖昧にする『みんなで考えなければならない問題だ』には、苦言を呈さずにはいられないのです。
