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↓『ぼくたちの洗脳社会』(岡田斗司夫著、朝日文庫、1998)より引用(06)


科学は、科学技術の発達や合理的思考法を生み出しました。
同時に、そこから派生して、民主主義や経済主義も生み出したのです。この件に関して少し説明してみます。
民主主義も経済主義も、人間とか利益、富といったものを一律に定量的にとらえて考えようという、とてつもなく大胆な発想から生まれました。キリスト教時代では、とても受け入れられそうにない「罪深い」アイデアです。


民主主義は、まず一人一票という思い切り方がすごいですね。
成人になりさえしたら、まだ仕事もできないヒヨッコでも、死にかけの年寄りも、IQ180の天才も、みんな一票。
納税額がいくらであろうと、大会社の社長であろうと、浮浪者であろうとみんな同じ一票なのです。初めて民主主義が登場したときの非難、批判は想像に余りあります。


この一票で何をするかというと、自分たちの代表を選らばせ、票の多い者に政治をさせようというのです。
なんの代表かというと、自分たちの利益の代表です。
たとえば、「○○会社の中堅サラリーマンであり、○○市の市民であり、○○国の国民であり、平均的な消費者であり、夫であり二人の子供の父親である自分」の利益を最も守ってくれそうな人を一人選ぶ、というのが民主主義です。


これはみんな自分がどうあるべきか、という自我が確立しているという前提に立っている発想です。つまり、何が自分にとって損か得か、自分は社会に対してどういう態度をとっているのかを、きちんと把握できるのが市民なのです。
また選んだあとも、きちんと自分の利益を守る方向で政治をしてくれるかをマスコミを通じて客観的・科学的に判断し、次回の選挙に活かさなければなりません。
世の中の出来事が神様の思し召しではなく、「どの政治家が何をやったからこうなった」という因果関係から成っているとみんな認識していること。そして、それを読み取れるという前提に立ったシステムともいえます。


↑(引用ここまで)
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…『これはみんな自分がどうあるべきか、という自我が確立しているという前提に立っている発想です』。


岡田氏が『初めて民主主義が登場したときの非難、批判は想像に余りあります』と言うように、みんな「民主主義」と簡単に言うけれど、とんでもなく思い切ったシステムですよね。
はっきり言って、人間を買いかぶりすぎです。
みんながみんな、「主(あるじ)」だなんて。
どの会社どの組織に属していても、それこそ「主人的」に、自分の利益だけでなく全体の利益を考えて先を見て行動し、自分のアタマで考えて「すべきこと」を自分に課したり他人に指示をだしたりできる人なんて、ほんの一握りです。
「奴隷的」と言ったら聞こえが悪いですが、他人から指示されたことだけを淡々とこなすだけの人の方が大多数であろうことは、容易に想像できます。
そこまでみなさん「主人的」やないですよ、と。


選挙に際して自分で調べもしなければ、事後調査もろくにせず、ニュースを見て文句ばかり。。
「便利な生活」「既得権益」を手放す気もないくせに、「エコ」だの「地球温暖化」だのを口にする。。
…そんな「奴隷的」な人たちに、かつて「王様」にしか許されなかった「主人的権利」を与えていいのでしょうか?


これは別に「自分はできてるけど、できない人ってしょうもないよね」という愚痴ではありません。
いつの時代も大多数の「奴隷的」人間を卑下して、自分が悦に入ることが目的なのではありません。


私たちは本気で、国民を再教育して「民度を上げる・上げざるを得ないシステム」を作るのか、いっそ国民の教育はあきらめて「一部の主人的な能力の高い人に政治を任せる『王政』」にシフトしていくのか、同じく「奴隷的」人口を見越して月7万円なら7万円を一律に支給する「ベーシックインカム」を採用するのか、考えなければいけない時期に来ていると思うのです。
…こんな切迫感を感じているのは、私だけでしょうか?


少なくとも、「民主主義」はべつに万能ではないし、それどころか「誰もが主人的たろうとする」という条件つき制度であることを理解したうえで、「政(まつりごと)」と対峙したい、とそう思うのです。


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