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↓『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)より引用(16)


セックスの本質は相手とのコミュニケーションである。
つまり、お互いに恥ずかしい部分まで全てさらけ出し合い、それを見つめることで、身体だけでなくお互いの心も開放し合うものなのである。
なのに、「相手にカッコ悪いところを見られたくない」からとマニュアル通りのセックス表現しかしないから、型にはまってしまって自由にセックスを楽しむことができなくなるのだ。
男も女も「こんな要求をしたら、嫌われるんじゃないか」「こんな姿で乱れたら、嫌われるんじゃないか」など、表面的でつまらないことばかりを気にかけ、全てをさらけ出し合う本当のセックスができなくなる。
すると、互いに嘘の姿でのコミュニケーションとなり、心を通わせ合う本当のスキンシップがはかれない。そんな状態で「イク」ことなど、とうていできない。感じることもできない。好きになった本当の相手の姿を見ることもできない。


まずは自らが心を裸にして、「ほら、これだけ脱いだよ」と表してみよう。心のよろいを脱いで、自分が恥ずかしいくらい赤裸々に感じるのだ。
そうすれば相手も「ああ、この人はこんなに恥ずかしい部分を自分に見せてるんだ」と安心して、ようやく表面を取り繕っていないで、本当の自分をさらけ出せるようになってくるわけである。
自分はさらけ出さずに相手をどうやって感じさせるかというテクニックに頼っていたのでは、コミュニケーションなど成立するわけがない。
本来セックスは、相手を思いやる気持ちが大切なものである。
だが、よくある「相手への思いやり」は、実は自分が相手からよく思われたいだけの「身勝手な自己満足」にすぎないことも多い。


本当に相手を思う気持ちがあれば、マニュアル通りのセックスをすることはありえないはずである。
相手が何をしてほしいか、を本気で考えたら、相手の気持ちを無視して決まった手順を繰り返すことにはならない。
逆にいえば、「相手に嫌われたくない」というエゴが、マニュアル的なセックスをさせているのだ。
まずは、嫌われても平気なくらい、精神力をきたえる。
そうでなければ本当の思いやりをもつことはできない。


↑(引用ここまで)
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「嫌われないようにするのではなく、嫌われても平気になるくらい、人に嫌われて失敗しろ」と、江川氏は言います。


日本人があまり話したがらない「セックス」の話を堂々としてくれるのも「流石」と言わざるを得ませんが、普段から「他人に自分を認めさせるよう戦略的に行動すべき」と豪語する私も、「嫌われたくない」と「認めさせてやる」が微妙なときがあると感じることも、あります。


自分では自信をもって行動していたはずなのに、気づいたら誰かの顔色を伺って行動している自分がいたり。。


思っていることをはっきり言えばいいのに、周りの空気を読んでしまって、言わずに黙ったまま過ごしてしまっていたり。。


「失敗を恐れずにがんばれ!」だなんて、ヒューマンドラマか何かでありがちな台詞ですが、リアルな「身近な人に嫌われるかもしれない恐怖」を想像させないそんな台詞は、小中学生の「いい子ちゃん」が口にする軽々しいスローガンと何ら変わりません。
「夢に向かってはばたけ!」みたいな。。(笑)


実際に、思うまま行動したら他人に嫌われてしまったり、ワガママを押し通してみたら、意外に周りは認めてくれるようになったり。。
そういった経験をたくさん積み重ねて、何度も傷ついて、何度も立ち直っていった者だけが、「失敗を恐れない」「他人を思いやれる」強さとしなやかさを手に入れられるのかもしれません。


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