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↓『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)より引用(13)


マルチ商法に引っかかったり、ギャンブルにはまって自己破産してしまう人が後を絶たないのは、ギャンブル欲求すなわち何かに賭けてドキドキたしたいというような「博打モード」という欲求が原因である。
これが人間の本能的な欲求であると言ったら、ギャンブルなどには興味がないという人間は、「そんなことはない。自分は違う」と言うかもしれない。
しかし、そういう人は、日常生活の中で「博打モード」が充足できているのだ。例えば、仕事に打ち込み、高い自己実現を目指して能力をフル回転させたり、恋愛でドキドキワクワクしたり、そういう体験を通してこの欲求を満たしているのである。


マルチ商法に引っかかったり、ギャンブルにはまってしまう人間というのは、公務員や大企業のサラリーマン、平凡な日々を過ごしている主婦といった、安定という幻想の中で生きている人間たちである場合が多いようだ。
つまり、日常の中に「博打モード」を充足させてやれるような刺激が何もない。だから、本当の博打にひかれてしまうわけだ。
実際、本当に仕事で博打を打っているようなフリーランスの人間がギャンブルにはまったなどという話はついぞ聞いたことがない。


これこそ、「人間をバカにする教育」が作り出した、大きな弊害である。
本来、人生は起伏と変化に富んだものであるのに、マインドコントロールによって何も考えず、安穏と暮らしているがために、「博打モード」という興奮を楽しみたい本能的欲求が蓄積し、これを発散させたくなってギャンブルなどというくだらない行動に走ってしまうのである。
自立して自分で考えて生きていくようになれば、そんなことで時間をつぶさず、現実の人生の起伏と変化を楽しむようになるはずである。


↑(引用ここまで)
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さすがは江川氏、「『安定』など幻想にすぎない」と一蹴です。「本来、人生は起伏に富んだものである」と。
私も、江川氏の言う「博打モード」を充足させるような、他人が作ったエンターテインメントばかりに没頭する人や、そういう話しかしない・できない人間を見ると、なんだかいたたまれない気持ちになってしまうのですが、それは「ほかにやることないんか?」という、当然の疑問によるものだと気づきます。


競馬、パチンコ、カラオケ、ディズニーランド…。
そりゃあ確かに、たまに仲間うちで旅行気分で行けば楽しめるでしょうが、何というか、それはただ、他人の手によって作られた「エンターテインメント」を、金を払って消費しているだけなのであって、決して胸を張って言えるようなことでもないと思うのです。…少なくとも、私の感覚としては。


「自分のオリジナリティを発揮する」「生産者側となって、他者に向けて、社会に向けて、創造的な活動をする」といった話よりも、「他人の作ったものでいかに楽しむか」なんて話ばかりでは、なんだか悲しい気持ちになりませんか?


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