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↓『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)より引用(03)
しかし、この”評価されたい”という心根がそもそもくせ者である。
「こんなにカネを出しているのに、アメリカに評価してもらえない」と言うのは、日本がアメリカの属国であるという意識に染まりきった発想だろう。
「評価されるにはどうしたら~」という時点で、奴隷根性がしみついてしまっているのだ。
「アメリカは○○してくれない」「ちゃんと○○してくれ」などという、相手に依存した物言いは、奴隷として仕える主人に文句を言っているのと何ら変わらないではないか。
そんなことだから、日本はアメリカへのおんぶにだっこから脱却できないのである。オレは『家畜人ヤプー』というマンガを描いているが、人間として自立せず、あたかも家畜のように主人である人間に対して従うのみの存在が家畜人である。
今の意識状態では、日本人はアメリカの家畜人にすぎない。
日本が家畜国家ではなく独立国家でありたいなら、まずは「評価してほしい」という意識から変えていかなければならない。
相手の「お褒めの言葉」を問うのでなく、相手がこちらの価値に頭を下げるようにマインドコントロールしよう、と主体的な思考に改めていくのだ。つまり、「相手に一目置かせる」のである。
「評価」というと相手の基準に合わせるようなへりくだったニュアンスがあるため、オレはあえてこの「一目置かせる」という表現を使う。
「評価されよう」とするのは間違いだが、相手が自然とこちらのことを理解するようにし向ける戦略を立て、対等に渡り合うことは、人間として然るべき行為である。
逆に言えば、そういう作為もなしに会話する人間を相手はどう思うだろう。よほどの無能者と見下すに違いない。おそらく、半人間、家畜人としか思われないであろう。
日本人が国際社会でどういう見方をされているか、少しは実感できたろうか。
↑(引用ここまで)
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『相手に一目置かせる』。
私も、自分の言動を振り返ってみると、そう考えて戦略的に日々振る舞っているように思います。
初対面の人、職場の人に、自分がどういう人間なのか、わかってもらう。
「評価されたい」「自分をちゃんと見てほしい」なんていういじけた発想でなく、「あいつ、やりよるな」と他人に思わせる場面をたくさん作る。
…なあ~んて書き方をすると、なんだか策略的にしか人付き合いができない奴みたいに思われてしまうかもしれませんが、あえてこういったことを意識的に書かせていただいたのは、「誰も自分を認めてくれない」「職場で正当に評価されない」なんていうネガティブな発想になってしまう自分を戒めるための心構えとして、必要なことだと思うからです。
「『自分らしさ』『個性』などと口にするのは、自分自身が一番の批判者である者にしか許されない」と、いつだったかイチロー選手も言っていました。
私も『相手に一目置かせる』だなんて豪語する以上、周囲の人たち以上に厳しい評価を自分自身に突きつけ続けられるようでないと、笑われちゃいますよね。。
