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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(04)


やはり、日和るか日和らないかの問題だと思います。
世間がこういうふうに評価しているけれど、何か自分は違和感を感じる。
その評価の軸に乗っていれば楽だけど、何か自分の中で違いがある。
その違いに正直なのか、正直じゃないのか。


正直にいくと、すぐに映画の『マトリックス』の黒い服を着た人がガッと来るように、学校でも周りでも「何、それ」みたいな感じになってしまう。
ギターをやっている横で三味線をやると、全然女にもてないわけです(笑)。
ところが西洋っぽくラップでキュッキュとやると受ける。
周りがすべてそうなっているときに、でも何か違うんだよな、おいしくはないけど「私はこれでいいと思う、これが私らしい」、という方向に行くか否かだと思います。


↑(引用ここまで)
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世間で大多数の人が評価しているものに対する「何か違うと思うんだよな」という「違和感」。
多かれ少なかれ、そういう個人的な「違和感」、みなさんお持ちだと思うんです。


しかし問題なのは、その「違和感」に従って強く出るか、周りから白い目で見られたり「それは間違っている」と批判されるのが怖くて、日和って「違和感」を揉み消すか、そのどちらの作業を多く繰り返して生きてきたか、だと思うんです。
…その作業量が、その人のオリジナリティの度合いを決める。
そして、「違和感」を大切にして、「世間の評価」と日々戦わせて孤高に生きている人は少ない、と私は感じています。


「テレビは見ない」「携帯電話は持たない」「クルマやバイクは持たない、乗らない」「インターネットはやらない」「コンビニや自販機は使わない」「ティッシュペーパーは使わない」なんていう、その人独自の「違和感」から生まれた「こだわり」を貫いている人にはなかなかお目にかかれませんから、みなさん、「便利」「このくらい”あたりまえ”でしょ」という世間の波にのまれ、「自分の判断で、取捨選択をする」「自分の感じた”違和感”を大切にする」ことを忘れてしまっているのかもしれません。


…これだけ「自分らしさ」「オンリーワン」なんて言葉がもてはやされているご時世なのですから、こういった「違和感」を大切に、「周囲から”ヘン”に思われても貫こう」みたいなことがもっと言われてもいいように思うのですが、やっぱりみなさん日本人気質というか、「出る杭」にはなりたがらないのが実情でしょうか。


ゴールデンタイムの人気バラエティ番組を見ながら、文字の打ちにくい最新のスマートフォンでゲームやインターネット。
深夜まで煌々と電気のついたコンビニや自動販売機に何の「違和感」も持たず使いたくり、考えることといえば、「美味しいものが食べたい」「旅行に行きたい」とかそんなことばかり。
休日は渋滞や人込みにすすんでお出かけ、人気のラーメン屋か何かの行列に並んで何時間も過ごす。
…こんな暮らしぶりの一体どこに、「自分らしさ」「オンリーワン」があるというのでしょう?


「人から白い目で見られても、”違和感”を大切にしよう」
「便利なもの、世間が”良い”と言うものにはすぐに飛びつかない」
…私だったら、こう言って「オンリーワン」を後押しするんですけどねえ…(笑)。


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