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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(03)
大学でもどこでも、理路整然としたきちんとした意見は評価されない社会になっています。
大学入試なんかでも、頭の悪いやつほど評価されるようになっている。
オタクのように、社会の中でより無意味なことを山ほど知っているやつが評価される。
そういったことを学習した人たちは、よりまたどうでもいい知識を山ほど詰め込もうとする。
人間は無駄な知識をたくさん覚えることによって快感を覚える生き物だから、ますます無駄な知識を膨大に集めるようになる。
しかもそれは危険性がない。
有用な知恵を得ると生きにくくなるけれど、無駄な知識を得てそれをしゃべると、みんなが「へぇ、へぇ!」とか言って感心する。
オタク的なものが評価の対象になって、無駄な知識をたくさん知っているやつほど、おいしい思いをするようになるんです。
本来の教育とは、ある種の目的をもって、そのためにどうするかを教えなければいけないわけです。
そういう教育を受けている人は、オタク的なものに対してはあまり反応しないと思います。
でも、そういうものが評価された試しはほとんどない。
↑(引用ここまで)
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ここ数年、テレビのバラエティ番組やらで、クイズ番組や「うんちく」系の番組がゴールデンタイムにひしめきあっていたり、書店でも「うんちく」系の本や「いまさら人に聞けない○○」なんかがベストセラーになってたりしている様子を見ると、江川氏も言うとおり、『どうでもいい知識』を語ることがもてはやされる現状は、確実にあるようです。というか、「大流行」と言わんばかりの様相です。
…でも、インターネットが台頭してきた頃に、よく言われていたはずですよね。
「これからの時代は、ネットで検索できる程度の知識なんて子どもでも入手できるんだから、その知識を”どう活用するか”の方が重要になってくる」と。
しかしどうやら、「どう活用するか」の方が注目を浴びたり、評価されたりする世の中にはなっていないようです。
まだまだ、「オレ、こんなことまで知ってるんだぜ」→「すごーい」の図式が、世の中の関心事のようです。
確かに、「オレ、こんなことまで知ってるんだぜ」→「すごーい」の図式は、言ったほうも、言われたほうも、なんだか気持ちよかったりします。
「こんな漢字も読めないの?」「こんなことも知らないの? やばいよ」と煽られれば、「そうか、何か本でも買って勉強しなくちゃダメかな」なんて思ってしまいそうです。
…でも、そんな知識、必要でしょうか?
「ネットで調べればわかる程度の知識」も息抜きとしては大変結構ですが、そんな「息抜き」にばかりみんなの目が向いているこの状況は、「異常」ではないでしょうか?
私たちは何を大切にして生きるのか、何を「美しい」と評価する国でありたいのか、江川氏も言う『ある種の目的をもって、そのためにどうするかを教え』る教師やリーダーなくしては、この「安易なものばかりに目がいく」流れは修正していけないのかもしれません。
