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↓『「かわいい女」練習帳』(里中李生著、三笠書房、2003)より引用(02)
昔の女性の羞恥心がどれほどすごかったか知っているだろうか。
昔の女性は着物を着ていて、その下は裸だった。下着がなかったわけだが、着物は簡単にまくれるものではなく、足元から覗かれる心配はなかった。
昭和七年。東京・日本橋の白木屋呉服店(七階建て)で火災が起こった。日本初の高層建築火災と言われている。
この時に高所から逃げ遅れた女性が、梯子で下りるように促されたのにもかかわらず、下にいる野次馬から、着物の中、いわゆる女性の大切な部分が見られるのを嫌がり、逃げ遅れて死んでしまったのだ。
それから百年も経っていないが、時代は、いや、女性は大きく変わったものだ。
実は、私は女子高生が下着を平気で見せるのを、羞恥心の欠如だとは思っていない。彼女たちも、二十二歳くらいになったら、けっこうまともになるものだ。
女の子が幼児化しているのだと思っている。公園で砂遊びをしている幼女の座り方と、駅ビルの階段で座っている女子高生と、なんら変わりがないのだ。
男の子は凶暴化し、女の子は幼児化しているのが、今の日本である。
↑(引用ここまで)
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…『女の子が幼児化している』。
「自分がどう見えているか」という「公共意識」の欠如。
それが、「幼児化」という状態だと思うのです。
「人の目なんていちいち気にしてたらきりがない。自分のやりたいことをやらなきゃ! 人生は一度きりなんだから」みたいなメッセージが当然のように垂れ流される現代、「自分の気持ち至上主義」時代においては、「ちゃんと人の目を気にして生活しよう」「公共意識をしっかり持とう」なんてセリフは、とっても時代遅れな物言いに聞こえてしまうことでしょう。
「偉そうにお説教? 他人にあんたの考え方を押し付けないでよ」と。
しかし、最近(でもないか?)、ちょっと「自分さえよければいい」という傾向が過ぎるようにも思えます。
男性が目のやり場に困るような格好や、スウェットにサンダルで平気で街を歩く若者。
タバコの煙や声の大きさなど気にも留めずに、レストランなどでしゃべくるおばちゃん。
そんな人たちを見るたびに、私は夢想するのです。
東京都の区によっては歩きタバコを禁止していたり、国によってはゴミのポイ捨てが罰金化されていたりするように、日本や各地域においてもそういった「公共意識」をあえて自分たちに課し、義務化することをしなければ、私たちの暮らす「日本」という国が、ポリシーのない、ちっとも誇れない国になっていってしまうんじゃないか(もうすでに、なっているかも?)と。
「スウェットにサンダルでも、本人がそれでいいと思ってるんだから、別にいいじゃん。誰にも迷惑かけてないんだし」。
「無神経なおばちゃんのいる店に行かなきゃいいだけの話じゃん。おばちゃんたちも、ああやってストレス発散してるんだろうし」。
…もっともな言いぶんです。
それでも、私は夢想してしまうのです。
市民が自分の「見え」を意識して慎ましく生活したり、公共の場でのおしゃべりやタバコを自重するような、節度ある国や街を。
これはどちらかというと、「昔はよかった」という懐古主義というよりは、「これから日本のどこかに、そんな『節度』を『義務』とする都市ができたとしたら、是非そこに住みたい! 罰則とか厳しいだろうけど」という妄想と期待から言っています。
「スウェットにサンダルなんて、けしからん。そんな格好で出歩いて、恥ずかしくないのか!」なんて言ったら、老人のお小言そのものですが(笑)、そろそろ新しい世代の中でも、「公共意識を大事にしたい」派と「何も強制されたくない」派で住み分けをしても、いい頃だと思いませんか?
…私は、市民が「幼児化」された国より、市民が「オトナ化」された国に住みたい! とってもおカタい国かもしれませんけど(笑)。。
