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↓『男の器量は女でわかる』(里中李生著、三笠書房、2008)より引用(15)
「俺が仕事をするために、おまえは家庭を守れ」と言うと、女性差別と言われて、何も出来ない。そのため、仕事に全力で取り組む男も激減した。
それを男女平等の正しい世の中、と皆、言う。
不況が続く世の中。
少子化が深刻な世の中。
それが正しいと……。
今の時代は、男女が本当に同じになった。
正確に言うと、男が完全に女性化している。男女平等は本当に浸透した。
今の男はいったい、何をしたいのか。
「平凡に生きたい」
と、ある飲み屋で若い男が言っていた。
「将来、政治家になって国を変えたい」
とは言わない。
「一千万円の車が欲しい」
とも言わない。
それは女性的である。
「仕事をしたい」と言う女は確かに増えたが、その女たちが、「あたしは将来、国を変えたい」とか「一千万円の車が欲しい」とは言わないのである。「正月は福袋を買いに行く」とか「クーポン券がたまって嬉しい」と、仕事をしている女も言うものだ。
女たちは、仕事をするようになったが、実は、女の本質は失っていない。一方の男たちは、男の夢、野心と言うものを完全に失ってしまった。なかには、先に言ったように、「結婚するのが夢」と、萎えたことを言っている若者も多い。それだけ夢のない世の中なのかというとそうでもなく、頑張れば、一千万円の車でも買えるのである。
だが、それをしようとしないのはなぜか。
結婚の話を先に出したのは、他でもない。
結婚も、女性的になる手段なのだ。
男たちの意識はそう傾いている。より、身近なものに重点を置くために結婚するのである。
今夜、一緒に夕食を食べるため。
一緒に買い物に行くため。
一緒に旅行に行くため。
二人で、軽自動車を買うため。
朝、「おはよう」と言いたいため。
そんな気持ちで結婚するから、まったく出世しないし、夢は掴めないのである。
「仕事に集中したいから、結婚する」
という言葉は聞かなくなった。
フェミニストたちによる男女平等、男女共同参画の徹底した洗脳作業により、男たちは女性化し、家庭は崩壊。日本は仕事が出来ない男たちで溢れ返っている。
なぜ、あなたたちは、そんなくだらない思想に洗脳されてしまうのか。男の意志はないのか。
女は変わらないのだ。いくら、「女も働く時代」と息巻いても、所詮、平凡が好きなのである。平凡では、国は動かせない。
先ほども言ったが今の時代の女たちは矛盾していて、仕事をしたいと言っているわりには、「政治家になって国を良くしたい」とか「三階建ての家を建てる」と息巻く女もいない。つまりそこそこ仕事をしたいだけで、大きな仕事をしたいわけではないのだ。男に代わる気はないのである。
なのに、そんな大きな仕事を男に任せているのかと思いきや、男に野心を持たせることを嫌がる。
「子育てはいいから、仕事をやって。あたし、一千万円のベンツに乗りたいの」
とは言わないし、無論、「政治家になって国を変えて」とも言わない。「あたしにも仕事をさせて」「子育てを手伝って」「家にいて」と言い、自分は男にとって代わる気はないのに、男には女性化を希望する。とんでもない話だ。
女性的に生きれば、身近なことが楽しく、幸せだ。「幸せになりたい」という馬鹿な男も増えたが、男は幸せを目指す生きものではない。戦うのが楽しい生きものなのだ。
↑(引用ここまで)
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…一応、里中氏の文章にいちいち反感を覚えてしまう読者のために言っておきますが、彼は「民主主義」、すなわち「権利」と「自由」をトコトン市民に分散させ、強制力をできる限り少なくした国の形態の行き着く先である「衆愚」(「自分のことしか考えない」「国のことなんか誰かがやればいい」に市民の大多数が傾いた状況)をなんとか回避できないかと考え、警鐘を鳴らしているのです。
「おまえら主(あるじ)としての自覚はあるのか?」と。
…「衆愚」は、王政や天皇制から主権を「民」に移した当時から懸念されていたことです。
「公(おおやけ)」のことなどほったらかしにして、「私(わたくし)」(=身近なもの、毎日の生活)のことばかりにかまけている「主(あるじ)」の姿は、まるで「バカ殿様」です。
里中氏はそういう意味で「身近なこと(私)に重点を置く」最近の傾向を危険視していますが、それは「公」「私」のバランスがあまりに悪くなっている日本の現状への危機感からだと思うのです。
私は、民主主義の行く末について真剣に考え、「何とかしなければ」と試行錯誤する里中氏のこの文章を否定できません。
もし否定できる人がいるとすれば、それは彼よりも「民主主義の歴史」「衆愚」「公私のバランスをどうするか」について考え抜き、「こうすれば『みんな自分勝手』に進むのを回避できる」と代案を立てられる者だけだと思うのです。
「『女性的』という表現はおかしい」だとか、「国のことを考えている人もいる」だとか、「男が『戦うのが楽しい生きもの』と断言していいのか? 生物学的には云々…」だとか、いちいち言葉尻をつかまえて反論している暇があったら、「封建主義」「民主主義」「共産主義」の歴史やメリット・デメリットについてもっと勉強しろ、と言いたい。
なぜなら、そういった類の反論は、「反論すること」「(現代のパラダイムにおいて)正論を言うこと」自体が目的であり、「国の行く先を考えよう」「民主主義の限界について考察しよう」という、「真剣に打開策を練る」ことを目的としていない「反論のための反論」だからです。
少なくとも「里中のこの言い回しは好かんけど、北欧では『衆愚』対策として彼の言うようなことを実際やってるみたいだよ」くらいは言ってくれないと。。
「自分の発言は、『反論のための反論』になっていないだろうか? それよりも、話の本筋である『身近なものに重点を置くこと』が危険性を孕んでいるなんて考えたこともなかった。少なくとも『民主主義』の根本には反しているかもしれない。では、これからの社会はどう進むべきなんだろう?」くらい考えて発言して欲しいものです。
『自由』を与えたら与えっぱなしの、無責任で安っぽい『平等』論は、もうたくさんです。
…本題に入ります。
「オレ、出世とか興味ないから」「そこそこ稼いで、家族との時間を大事にしたい」というような台詞が男性の口から平気で出てくるような時代になったのは、いつからでしょうか。
そもそも「出世」して給料が上がるということは、少なくともヒラの社員よりも会社の仕事全体を見渡すことができ、何人もの部下をあずかるといった、「責任」あるポジションにふさわしい人間だと認められることなのであって、「出世争いに興味がない」「自分の評価をいちいち気にしたくない」なんてカッコいい台詞が吐けるのは、仕事が人並み以上にこなせる、自他共に評価の高い人間にしか許されないと思うのです。
今回のテーマは、「野心」について。
この問題ばかりは、「仕事にどのくらい打ち込むかなんて、人それぞれじゃん」「『野心を持て』だなんて人に押し付けるなよ」と開き直られたら、口をつぐむしかありません(しかしこれも、民(たみ)が「主(あるじ)」であることを放棄した、「衆愚」の一端なのではないでしょうか)。
ただ、里中氏が言うように、「身近なこと」「幸せ」に重点を置く『男性の女性化』という傾向が、時代の流れとともに強くなってきていることは事実だと思うのです。
そして、比較的多くの女性が『そこそこ』仕事をしたいと思っているということも。
「男だって、全身全霊仕事に打ち込むような奴なんか少ないじゃないか」と言われれば、その通りだと思います。
里中氏が『日本は仕事が出来ない男たちで溢れ返っている』と評するように、日本中が、「野心」もなく、ただ「食っていければいい」と思っている人たちばかりなんじゃないかという気にさせられることも、少なくありません。
まさに「衆愚」の様相ですね。
いったい、誰が「主(あるじ)」なんでしょう?
「民主主義」って何なんでしょう?
…「責任」を負うのは、今の時代、明らかに「損」です。でもそれを理由に、自分を「厳しい状況」に置くことをやめていませんか?
…「自分を認めさせたい」「ビッグになりたい」とギラギラしていますか?
…あなたは、この国の「主(あるじ)」として生きていますか?
少なくとも私は、里中氏の文章にドキリとさせられました。
そりゃ「日々の身近な楽しさ」(私)も大切だけど、「いっちょ革命を起こしたる」(公)という気持ちも忘れてはいないか、と。
…なんだか精神論みたいな話になってしまいましたが、安直な「手近な幸せ」(私)ばかりがもてはやされる現状に違和感を禁じえず、まずは問題提起をしたいと思い、こう書きました。
かつての王様や天皇、皇帝たちが、今ごろこっちを見てほくそ笑んでますよ!
「ほれ、見たことか」「やっぱりあいつらに『主(あるじ)』なんて荷が重かったんだよ」「凡人どもに『自由』と『権利』なんて百年早かった」と。
…さて、どう見返してやればいいんでしょう?
