------------
↓『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』(みうらじゅん・リリーフランキー著、扶桑社、2011)より引用(17)


みうら:でも、部下も上司も自分の鏡みたいなもんだから、それが今の自分のレベルなんだよね、哀しいかな。
やっぱり、部下がダメだっていうのは、自分のレベルがそうだから、そんな人しかついてこないだけで、それを言っちゃおしまいなんだけど、結局そうだよね。
景気がいいときは三流まで金は来るけど、景気が悪くなったら金が来なくなった、ってくだけなんだよね。
オレも一時、ぶつぶつそんな話をしてたら、先輩が「お前がその程度だからじゃないの」って。
それを言われちゃあ、もう二の句が継げなかったね。


↑(引用ここまで)
------------

日々の生活における不満を「環境」や「他人」のせいにする人って、本当に多いと思うんです。
こんなことを偉そうに言っている私だって、油断するとそんなことを口走っていたりもします。


あなたが会社の上司や同僚、部下をいくら「こいつ、本当に使えないな」と思っていたとしても、所詮あなたもそいつらの一味、その集団の一員なのです。
みうら氏の先輩の言葉を借りれば、『お前がその程度だからじゃないの』、ということです。


あなたが道行く人に、たとえばタバコのポイ捨てをする人を見かけて「こいつ、どうしようもない奴やな」と思ったとしても、所詮あなたもそんな奴と同じ国、同じ地域に住んで暮らしているのです。


…まあ、道行く人にまで「自分のレベル」の鏡と見るかは異論もあるところかもしれませんが、ありていに言えば、「自分のレベル」相応の人しか自分には寄ってこないし、逆に自分の身の回りにいる人を見れば「自分のレベル」がわかる、ということです。


私も、職場や身の回りに「こいつ、いい歳こいてどうしようもない奴やな」と思うおっさんやおばはん、若者もごまんといます。
ただ、「所詮自分もその集団の一員」であることを思うと、そんな人らとも五十歩百歩かもしれない自分を恥じるとともに、「人を小バカにする前に、もっと自分の行動レベルを上げて、地道にがんばらな!」と奮起せざるを得ないのです。


先日、ある人のブログで「市の職員も警察も教師も公務員はみんな、安定した給料もボーナスももらえる上に、不祥事が絶えない”自浄能力”のない集団だと一般市民から思われていることに無自覚すぎる」と指摘している文章を目にしました。
そして「中には数少ない、身を粉にして働き能力も高い公務員もいることでしょう。でも、”自分はちゃんとやっている”と言ったところで、汚名を挽回できないところまで来ている。一部の人たちだけが一生懸命やる組織ではダメなのです」とも。


…「自分だけはまともにやっている」と思ってしまいがちなプライドばかり高い日本人に一喝入れる、なかなかの指摘だと思います。
少なくとも私にはそう伝わりました。
「自分だけまともにやっていても、所属する組織全体がそうならなければ不十分」という考え方は、環境や他人のせいにする「弱い自分」を鍛えてくれるように思うからです。
『お前がその程度だからじゃないの』と自問して、今日も「勘違いした自分」を戒めます。。


ペタしてね