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↓『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』(みうらじゅん・リリーフランキー著、扶桑社、2011)より引用(14)
みうら:たしかに、せっかく好きなことやってても、ぜんぜん食えてないのは夢がないですね。
そのためにもオレはちゃんと暮らしてないとダメだと思ってるんですよ。
後に続く人のことまでは考えてないけど、そういう生き方もあるっていうことを提案する商売だとは思う。
(中略)
リリー:実際にタダの仕事もするし、お金をもらう仕事もするけど、どちらにしても「お金じゃない」って本当は思ってるけど、それを言葉にはしたくない。
それを言ってしまうと、すごくヌルい世界に自分か入っていきかねないし、やっぱり仕事相手にも何か身を切ってほしいんですよね。お金でもいいし、熱意でもいい。
↑(引用ここまで)
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「世の中、お金じゃない」みたいなことを思ってても言わない人と、言ってしまう人。
パっと見では微妙な差かもしれませんが、そこには「大人とガキの境界線」と呼べるくらいの大きな溝があるように思います。
先日、テレビ番組「にけつッ!!」でゲスト出演していたツーナッカン中本氏がこんな話をしていました。
ある夜、乗り合わせた満員の終電の車内で、酔っ払ったおっさんが吐いてしまった。
すると近くにいたおばあさんがすぐに、嫌な顔ひとつせずに汚物の処理なんかをしていてあげたそうです。
それを見て中本氏は「なんていい人なんや。それに比べオレは、”汚いなぁ”と思うだけで、何もできない最低な奴や」と思った、と。
そんなことを思いながら、ふと隣を見ると、女の人がケータイでツイッターをやっていたらしく「車内で吐いた人の汚物を片付けているおばあさんがいる。あんな人に私もなりたい」とツイートしているのがつい目に入ってしまった。
それにカチンときた中本氏は「おいオマエ、それは心に思うだけでええやろ! わざわざ”あんな人になりたい”とツイートするのはフォロワーに”いい人”と思われたいだけやないか! そんな偽善振りまくヒマあったら今すぐケータイしまっておばあさんを手伝えや!」…といきなり怒鳴ってしまったそうなのです(笑)。
たまたま目に入ってしまったツイートに対して初対面でそんなに怒鳴れることの是非は置いておくとして(笑)、彼の言う「自分は動きもせんと”もっともらしいこと”を言う偽善ぶり」は、正しい指摘だと思うのです。
思うだけならまだしも、ツイートするヒマあるなら手伝えよ、と。
小学生やらが(大学生ですら?)、「世界から戦争がなくなりますように」とか「環境のことを考えてエコ生活しよう」とか思うだけならまだしも、それを口にするんやったら、まず身近な人に対してできることからせえよ、と。
「世界から戦争がなくなったほうがいい」。そりゃそうです。
「ひとりひとりが環境のことを考えて生活すべきだ」。そりゃそうです。
「困った人がいたら、助けられる自分でありたい」。そりゃ確かにそうです。
でも、それを平気なツラして口にできる(発信できる)人は、どうにも信用できないのです。…小学生の学級目標じゃないんですから(笑)。
そんな「もっともらしいこと」を一言も口にしなくても、毎日やれることをきっちりやっている人…それも、人並みはずれたレベルで毎日淡々とこなしている人がいることをちょっと想像してみれば、そんなことは口が裂けても言えないはずです。
まあ、そんな「もっともらしいこと」が口にできないくらい、日々何も考えていなければ何もしていないのは論外ですが(笑)、どんなに「こうすべきだ!」と言いたくなっても、それを口にする自分以上にやっている人は必ずいるのですから、何も言わずにコツコツやろうと思わされた、ツーナッカン中本氏のエピソードでした。
…「おまえのこの文章こそ、”もっともらしいこと”の発信そのものやないか!」というツッコミはとりあえず置いておいてください(笑)。
