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↓『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』(みうらじゅん・リリーフランキー著、扶桑社、2011)より引用(12)
リリー:世の中に認められている程度の人っていうのは、要は凡人が認める程度の人ですから、まだ秀才ですよ。
天才というのは、「終わってから評価を得る」じゃないけど、なかなか人にはわかりにくいものですよ。
(中略)
みうらさんとか大竹さんみたいに、何の利益があるかわからないスクラップを毎日やってる人って天才肌だと思うんですよ。
1、2年程度ならいいけど、ふたりとも三十何年やってるわけじゃないですか。
これ、天才じゃないとできないですよ。ある意味、何かが欠落してるもん。
マネしようと思ってもマネしたくないってみんなが思ってる部分がまずないと。
天才といわれる人、そうした人たちのやってることは圧倒的にすごいけど、まずこちらはそれをやりたいとは思えないっていう、それをやってるエネルギーのある人ですよ。
↑(引用ここまで)
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…『世の中に認められている程度の人っていうのは、要は凡人が認める程度の人』。
多少手厳しい物言いかもしれませんが、「今、人気がある○○○」「巷で有名な○○○」なんて芸能人や食べ物屋の話を耳にするたび、私もリリー氏の言うようなことを、よく思います。
「世の中に認められる程度のモノなんて、要は凡人が認める程度のモノやろ」と。
たとえば、「これはうまい!」「行列ができるもの頷ける」とテレビ番組やらネットのクチコミやらで評判のお店に行っても、「あれ? こんなもんか」と思わされることばかりじゃありませんか? …私だけ?(笑)
「なんや、結局どこかで食べたことのある、あっさり系の醤油ラーメンやんか」「この味だったら、びっくりドンキーのハンバーグを500円ちょっとで食べるわ」とか。
…「行列に並んででも、また食べたい!」と思わされたことは、ただの一度もありません。
私はオリンピックも別に観ませんでしたし、「今、注目の」スポーツ選手にしても、「人気急上昇」若手お笑い芸人にしても、よく知りません。
ふだんは録りためた「さまぁ~ず×さまぁ~ず」やらDVDBOXを買い揃えた「スタートレック」やらを観たり、友人と集まっては料理をしたりして楽しんでいるので、「今、話題の○○○」を知ろうとも思わないし、そんなに暇でもありません。
これだけ趣味や娯楽の多様化・大衆化が進んでいるのですから、「みんなに人気」=「良いモノ」という図式は、もはや成り立たないのではないでしょうか。
もっと言えば、帰省ラッシュやら行列のできる店やら、進んで「混雑」「その他大勢の一部」になりたがる「大衆」に人気だとかいうモノなんて、むしろ「悪いモノ」「大衆向けにコントロールされた消費財(エサ)」でしかないのかもしれません。
「みんなに人気」=「良いモノ」という図式をいまだに盲信しつづけるの、もうやめませんか?
