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↓『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』(みうらじゅん・リリーフランキー著、扶桑社、2011)より引用(09)
リリー:だから、相田みつをのことを世の中の人があれだけ好きなのは、相田みつをも考えない訓練をしようと思ってああなったわけじゃないですか。
あの人、もともとはちゃんとした書家だったのに、いわゆる美しいと思われている書からどうやって自分が離れていくかを探求したわけですよね。
それで、世の中に認められたいと思っている自分の恥ずかしさなんかを、素直に自分の字で書こうと思ったらああなったわけでしょ。
でも、あれを見てあれと似たようなことをして、「相田みつを的だね」みたいなことを言われている人は、どこかで心が荒んでると思うんですよ。
相田みつをがああなったみたいに、自分と向き合った経緯があったら、もっとオリジナリティのある人に見えるはずなんですよ。
形式だけマネしてても、それは「仏作って魂入れず」でしょ。
↑(引用ここまで)
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…『自分と向き合った経緯があったら、もっとオリジナリティのある人に見えるはずなんですよ』。
本当にリリー氏は、いいこと言います。
いかついお兄ちゃんが首からジャラジャラぶら下げて「自分、ヒップホップやってます」とか言っているのにどこかオリジナリティのなさを感じるのも、『自分と向き合った経緯があったら、もっとオリジナリティのある人に見えるはず』だから。
政治家や会社の社長か何かがネクタイ締めて失礼神妙な顔をして「大変遺憾に思います」とか言っているのにどこかオリジナリティのなさを感じるのも、『自分と向き合った経緯があったら、もっとオリジナリティのある人に見えるはず』だから。
…大勢の目に触れる職業柄、「万人に失礼のないように(クレームの来ないように)」振る舞わざるを得ないことを差し引いたとしても、その人独自の言葉や振る舞いが見えなさすぎます。
今の時代、「個性」「自分にしかできないこと」とみなさんうそぶきますが、「みんながそれぞれオンリーワン」なんて甘っちょろい言葉に流されていると、形だけ「個性的」な連中と、自分と向き合った結果「独自性」が際立つようになった人の見分けもつかなくなっちゃいますよ!
