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↓『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫著、現代書林、2001)より引用(28)


う:考えてみると大学に入るぐらいの時から割と醒めてましたね。結婚とか恋愛が何かを変えるとは全く思ってなかったし。自分の人生は、当然自分で何とかしていかなきゃいけない。じゃあ、ちゃんと働かなくちゃね、とがんばっちゃった。


岡:うさぎが言った大学の時の認識って言うのが普通は25、6歳だよ。もっと、「恋愛というのはすべてを変えてくれる」と思っていたり、もしくは「すべてを変えてくれるはずなのに」って怒ってたり。
ぼくが知っている30を越えて独身の人たちは、みんな醒めてない。あのバブル期に青春だったもんで、恋愛に関して要求が高すぎるんだ。「こういうやつでなきゃ恋愛じゃない」というイメージが強い。


う:理想の恋愛みたいな?


岡:理想というより、かつて実際に経験したことだから、「これぐらい当たり前でしょ」という思いがある。「相手の家に行って、ビデオを見てゴロゴロしているなんてとんでもない。そんなの恋愛じゃないわ!」というような人、いまだに多いんだよ。
今の20代ぐらいだと、「そういう2人デートがいいよね。なごむよね」と言うんだけど、30代の人たちは、10代後半から20代前半に恋愛の非日常性を味わっちゃった。


う:高級ホテルのスイートルームだの、三ツ星レストランだの、ブランドもののプレゼントだの……


岡:そうそう。だから、こんな場末の舞台で演劇なんてできないわ、冗談じゃないって、怒っちゃう。


う:夢が大きすぎる。ほんとにクリスマスのケーキなんですね。


↑(引用ここまで)
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…『「こういうやつでなきゃ恋愛じゃない」というイメージが強い』。


男が女性を喜ばせるために、レストランを予約する。夜景を見せる。プレゼントを用意する。
「恋愛」というエンターテインメント(というより「奉仕」?)を用意する代償に、女性から「セックス」が与えられる。
…そんな前時代的な「モデル」が、いまだに多くの女性たちの意識の中に刷り込まれている、と思うことは多いです。
その「モデル」の中に身を投じることで得られる「お姫さま的」な快感。
女性たちは口をそろえて「本当に好きな人でなきゃ」とか言いますが、むしろ「お姫さま的」な快感を得るための、「恋愛」という名のエンターテインメントを享受するための「道具」として、「男」を消費しているようにも見えてしまうのです。


彼氏以外の男に誘われて、「銀座でフランス料理のフルコースをごちそうになっちゃった。超おいしかった!」だの、「昨日、東京タワーの電気が消えるところを見せてもらっちゃった!」だの、「いやいや、それって別に相手はそいつじゃなくてもいいって言ってることになっちゃうよ?」「それって本当に楽しいか?」と言いたくなるデート話を聞かされる機会は、少なくありません。
少なくとも私なんかは、あんまり知らない相手の助手席に何時間も座ってたり、無条件でおごってもらったり、相手に長い時間気を遣わせているそんな状況は、全然楽しめる気がしません。


なぜそんなにも「消費者」的な状況を、相手に悪いとも思わずに、両手放しで楽しめるのか。
それは、男から「メス」として見られ、「オスに奉仕させている」というその事実と状況が、自分の「メス」としての存在価値を充足しているように思えるからではないでしょうか。


「人間」としての付き合いよりも、「自分がメスとして、どう見られているか」。
男と女なんてそんなもんでしょ、と言われたらそれまでですが、「人間として魅力的」っていう話をまるで聞くことのないこの状況は、ちょっと寂しい気分にさせられます。。


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