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↓『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫著、現代書林、2001)より引用(19)
岡田氏:えーとね、1人で育てる根性があれば、出産・育児っていうのは、ものすごくいい経験になる。僕が思うに出産っていうのは、アンデスの山奥での2年間の暮らしと似たようなもの。基本的にサバイバルだし、極致だし、孤独だし、つらい。でも、終わったらいい顔しているのは確か。無事に終わったら、その後で振り返ると楽しいというのも保証する。
でも、すっごいつらいし、途中で死ぬ人がいるぐらい…自殺する人もいるし、子供殺しちゃう人もいる。子供5歳で折檻死なんて珍しくなくなってる。何歳になったら大丈夫というのもない。5歳で折檻死させちゃった人っていうのも、多分2歳、3歳の頃は「あと1年経ったら、あと1年経ったら」と思っていて、止まらなかった人なんだと思うなあ。
うさぎ:本当に最近増えてますよね、折檻死。友達に「結婚したい一番の理由って何?」って言うと、「子供を、せっかくだから産んでおきたいからね」っていうのが多いんですね。でも、私は自分がどうしちゃうか自信なくて怖いから、その度に「子供を産むのって怖くない?」って聞くんです。それでも「怖いかもしれないけど、産みたい方が強いからね」っていう感じで答える人がほとんど。意外とその辺「自分の子供は大丈夫」的な納得があるみたい。
岡:『フロン』にも書いたんだけどね。みんなまだ、変なことしなきゃ大丈夫だろうと思っている。育児に失敗する人とか、離婚する人は、特別だと。変な男をつかんだり、結婚してから旦那が変になっちゃったり、自分が変な仕事を始めたり、へんな宗教に走ったり、そういうヘマをするからだと。『ナニワ金融道』的に言うと、「ヘタを打つから」。そういうヘタさえ打たずに、ごく普通にやっていれば離婚なんかしないし、出産なんか平気だし、多少いろいろあっても子供はすくすくと育つし、という風に思ってる。
でも違う。
ヘタを何にも打たなくても、子供はアトピーかもしれない。何しろ子供の2割だから。それだけで、苦労は3倍、5倍。
う:今は普通の家庭でも大変。
岡:どっちかって言うとね。何も考えずに出産したときの不幸せになる可能性っていうのは、相当高い。
↑(引用ここまで)
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…わかりきったことではありますが、「育児」は、大変です。
経験者である岡田氏が『アンデスの山奥での2年間の暮らし』と例えるくらいに、「育児」は人生の「試練」であることに、異論のある人は少ないでしょう。
でも、私たちのまわりの経験者は、きまってこう言います。
「きみたちもそろそろ結婚しなきゃ」「35歳超えてから子供の相手はしんどいよ」と。
まるで、「結婚」「育児」は人生の「義務」であるかのような言い方をしてきます。
…どうしてでしょう?
もうそろそろ、「結婚」「育児」なしの人生スタイルが大手を振って認められるような世の中になってもおかしくないと思いませんか?
これだけ「個性」や「多様化」が進んだ現代社会に生きる我々なんですから、「結婚」や「育児」も、「富士登山」や「フルマラソン」のような「別にみんながしなくてもいいけど、苦労してやり遂げたら、達成感や喜びが待っているもの」扱いされるようになってもおかしくないと思いませんか?
…私はそういう経験者の方々のありがた~い話を聞いても、ちっとも納得できません。前時代の価値観で育った彼らの経験話なんか、バブル崩壊後の現代の価値観の中で生まれ育った我々には全然説得力がないのです。
先輩方は、「男も女も人生において必ず結婚するもの。して当たり前、それこそが王道である。たま~に例外な人もいるけど」っていう価値観のもとで生まれ育ち、自分の頭で考えるよりも、彼らの親世代や当時の風潮に言われるがままに「結婚」→「育児」を経験した人たちばかりなのですから。
21世紀を生き、「模範」と呼べるものすら自分自身で選択し、人生を模索しなければならない我々とは、まずもって「状況」が違うのです。
「自分のしたいこと」「自分の気持ち」に正直に生きる、いわゆる「自分の気持ち至上主義」の世の中への定着率というか、社会にとっての「あたりまえ」が、我々の親の世代の状況と、我々の今の状況とでは、全然違うのです。
その「『模範』の選択すら個々にゆだねられている」状況の違いへの無理解が、彼ら先輩方の無神経な「なんで結婚しないの?」「子供はかわいいよ」「老後が大変だよ」という発言を生んでいると思えてなりません。
…でも、無理もないのかもしれません。まだまだ我々の親世代の価値観だけは色濃く残り、私と同世代の人たちですら、こういった「状況の違い」に無頓着な人が数多くいますから。
…この話を聞いたあなたは、どう思いますか?
それでも「結婚・出産は個人の自由。…でも、いつかは結婚しなくちゃ」と言っちゃいますか?
