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↓『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』(みうらじゅん・リリーフランキー著、扶桑社、2011)より引用(01)
みうら:人間にとっての不安は加齢と病気かなあ。
リリー:あとは死ですよね。一番の不安は、死ねないのに金がなくて、ずーっと病気って状態。
M:そもそも、安定というものがあると思い込んでいるから不安なんだよね。ジョン・レノンの「イマジン」みたく思いこまなきゃ。
ない、ない、安定も不安もないってね。
奥さんなり夫なりが、「いいじゃん、大丈夫だよ。どうにかなるんじゃない」って言ってしまえば、不安にならないんだけどね。
L:今は不安を逆手にとって商売してる人が、いっぱいいますからねえ。
M:地獄に落とされる人たちね(笑)。
L:不安を減らしたいなら、少しでも金があるうちに、他人によくすることじゃないですかね。「あいつには、あのとき世話になったから」って。
それは自分が死んでも、自分の子供なり家族に、「あなたのお父さんに世話になったから」って引き継がれますし。
『パルプ・フィクション』でも主人公の父親が捕虜収容所でケツの穴に隠して守った大切な時計を、その父親が収容所で死んだあと戦友でもあるクリストファー・ウォーケンが届けに来てくれましたしね(笑)。
M:それはあるよね。
未来の話をどんなに頭を使って考えても、全部は当たってないんだってことを学校で教わってないから、ついつい悩んじゃうんだよね。
予想できることで、一つだけ当たっていることは、「いずれ死ぬ」っていうことだけだからね。
とりあえず、それだけを不安に思っておけばいいですよ。
しなくていい予想で不安になることが一番のムダだから、一生懸命考えないことにしないと。
脳は昔から心配性だから、それに付き合ってるとロクな目にあわないよね。
↑(引用ここまで)
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恋愛、結婚、育児、仕事、保険、葬式…。
そんな人生のもろもろについて、「○○した方がいい」「みんな○○しているよ」という類の話を、私はまず疑ってかかることにしています。
それらのありがた~い「アドバイス」の多くは、単に当事者の不安を煽るだけだったり、「そうさせたい人たちがいる」というだけだったりと、宗教の勧誘のような物言いばかりだからです。
「そんな程度のこと、いらない不安とちゃいます?」「あんたの保守的な成功体験を、人に押し付けるなや」とツッコみたくなるような話ばかりだからです。
「○○歳になるまでに、結婚して子どもを産んどいた方がいいよ」「子どもができたら、○○保険に入った方がいいよ」「葬式では、みんな○○しているよ」といった、人生の先輩方の「親切心の押し売り」に、片っぱしから疑いの目を向けてしまうのは、私が「あまのじゃく」「人に言われたとおり行動するのがイヤな性分」だからでしょうか?
…私個人にそういう面があるのは否定しませんが(笑)、それはきっと、そういった数々のありがた~い「アドバイス」が、私たちひとりひとりの生き方の「オリジナリティ」を削ってしまう可能性があることを無視しているからだと思うのです。
人生の先輩方に言われるまま、結婚するのもいいでしょう。保険に入るのもいいでしょう。葬式をするのもいいでしょう。
…しかし、そのどこにあなたの「オリジナリティ」「ユーモア」「人生の爪痕」があると?
「おもしろおかしく生きる」ことをモットーとしている私からすれば、そういう「誰もが右へ行く」場面で「左に行ってみる」選択肢を考え、あれこれもがき苦しむ「起伏に富んだ人生」でなければ、それは「人生」と呼べないと思うのですが…。
「不安」「○○に備える」を煽る提言の多くは、その内容がいかに正しいとしても、個人の「オリジナリティ」を潰す可能性をもっている、とそう思うのです。
