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↓『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫著、現代書林、2001)より引用(14)


岡田氏:よく「男も女も結婚して一人前」というけど。あれ、同じ意味じゃない気がする。男の「結婚して一人前」というのは、食わせるだけの余裕があるという、いわゆる余裕勝負になるんだよ。
ぼくがよく言われるのは、「岡田斗司夫というのはイヤなやつだけども、でも妻子を養っているからたいしたもんだ」。
男社会ではよくあることなんだけど「あいつ全然ダメだよ」って言われてるヤツも、女房子供がいると聞いた瞬間に、みんな「ああ、だったらたいしたやつだ」と。


うさぎ:どうしてですか? ちゃんと家庭を運営しているから?


岡:ううん。例えば、僕のことを嫌いな人たちも、家庭を持っていると聞いただけで「でも家庭を守るために、あえて言いたくないことを言っているのかもしれない」と思えるらしい。そうすると、悪口もトーンダウンしていくわけ。
結婚しているとか、家庭があることに関して、それぐらいのすごい責任や負担を、あえて望んで背負っているという印象があるわけ。だからこそ、結婚して一人前。


(中略)


岡:女の人の場合、30独身女の「独身」という部分に引っかかるのは、「私は女としてダメかもしれない」とか、「まともでないかもしれない」というニュアンスを感じるからだろうね。さっき言った、女の子が鏡を持って、あそこをビラっと拡げて、「ちゃんと私、まともなんだろうか」という、女の子にしかない「あの手の悩み」の臭いがするんだよね。
なんで性器の話をしたかというと、男の性器の悩みは「こんなので女をヒーヒー言わせられるか?」という即物的問題なんだ。でも女性は「私ってマトモな女だろうか?」という実存的問題。この2つの問題意識の差が、男女間のいろんな側面であらわれる。


「独身」という現状に対しても男性の場合は「相手してくれる女がいない」っていう即物的な問題なんだ。でも女性の場合は「30代で独身っていう私って、ひょっとして欠陥品?」という実存的問題になりやすい。
男の結婚できないというのは、「頼ってもらえない」「稼ぐ能力がない」という、これまた即物的問題。決して「男としてまともじゃない」わけじゃない。だからこそ、「頼ってくれるなら誰でもいい」というのも、大いにあるわけ。


でも女の子の場合の、「30になったら結婚する相手がいなくて」といっても、猛烈に結婚したがっている30代後半男(ハゲ&チビ&デブ&貧乏)と結婚しようとは思わない。これでは彼女が思っている「まともな女」「まともな結婚」の証明にはならないからじゃないかな。


↑(引用ここまで)
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…男にとっての「性の問題」「独身・結婚問題」は、『即物的問題』。
それは、その男性当人の、超~個人レベルでの「プライド」や「メンツ」に関わる程度のものでしかない、とも言い換えられると思います。


…女にとっての「性の問題」「独身・結婚問題」は、『実存的問題』。
それは、その女性当人の、「アイデンティティ」や「自分の価値」がそこで決まると言っても過言ではないくらいの、自分の「生」に直接関わってくる問題と捉えられることも少なくないと思うのです。


我々男性からすると、なあんか、女性が「自分のアタマでちゃんと考えて、自分で決めたとはとても思えないくらいに、『いつかは絶対に結婚しなければいけない、するのが当たり前』と思い込んでる」その姿に、切迫した重圧感のようなものを日々ビリビリと感じ、どうにも身が引けてしまうのです。。


しかしながら、こういう視点で身の周りの男性や女性たちの日々の言動を観察してみると、『即物的問題』『実存的問題』という、岡田氏の提唱するこの理解の分け方は、私たちの行動に本当に大きく影響しているなあ、とつくづく納得させられます。
「彼はなぜ、自慢話みたいな話し方ばかりしたり、他人を無神経にいじったりするのかと思ってたけど、結局は男性特有の『即物的』なプライドを保ちたいだけなんだろうなあ」とか。
「彼女は冗談めいて『いい男がいない』とぼやいているけども、彼女の結婚願望は、周りがいくら気休めを言ったところで、一生かかっても打ち消せるものなんかじゃないよなあ」とか。


「その人が何をしているか」ではなく、「その人がなぜ、その言動に至ったのか」。
人を見る目を養う視点を、またひとつ、岡田氏は提供してくれています。


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