------------
↓『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫著、現代書林、2001)より引用(11)


岡田氏:ところで、ウサギはどうしてそんなに結婚にこだわっちゃうのかな。


うさぎ:いや、こだわってるわけじゃないんですよ。
ただ今すぐ結婚、って考えてるわけじゃないけど「いずれはしよう」とは思ってて。
…あ、やっぱりこだわってるのか(笑)。


岡:お見合いとかで、探すのはどうなの?


う:やっぱり、ちゃんと恋愛して結婚したい。


岡:どうしても、恋愛と結婚がワンセットなわけ?


う:お見合いが絶対イヤってわけじゃないですよ。つきあいだしてから恋愛すればいいのかな、とも思うけど。


岡:でも、恋愛感情がないのは、ダメなわけね?


う:ダメって言われると困るけど、一生1人なんて寂しいし、自分の子供も欲しいし。そういうことを一緒にするパートナーって、やっぱり本当に好きな人じゃないと、ねえ。


岡:自分の子供がほしいなら、子供だけ作れば? 結婚しなくても子供さえいれば、寂しいなんて言ってらんないほど忙しくなるよ。


う:でも、子供には父親が必要でしょ?


岡:いや、そんなことないって。『フロン』(編注・岡田氏の前著。新しい家族・夫婦・親子像を読み解いた快作)という本で詳しく書いてるけど、父親なんていなくても大丈夫。


う:ということは、自分1人で育てろってこと? …それって、かなり不安。


岡:1人で育てろ、と言ってるわけじゃないけどね。1人で育てるのも2人で育てるのも、案外違わないんだよ、現実の生活は。普通に結婚したら、現実的に子供を育てるのはたいてい母親だけだからね。
かえって父親がいるのに何もしてくれなかったり、気がきかなかったりする方が、よほどストレスがたまるって言うよ。


う:でも、現実問題、1人では子供を作れないし。


岡:それはそうだけどね。例えば、仲のいい男友達に「責任とれとも、父親になれとも言わないから、子種だけほしい」って言ったら、みんな喜んでOKだって。


う:そんな簡単でいいのかな?


岡:いいの、いいの。世間が言うとおりの型にはまろうとするから大変なんだよ。子供がほしいなら、作っちゃえばいいんだよ。で、1人で楽しく育てればOK!


う:ちょっと子供を産んでみようかな、ってノリで?


岡:それが原則なんだけどね。でもそこに、「子種をくれた相手と結婚しよう」とか、「子種をくれた相手に良い父親になってもらおう」ちか、そういう打算がどんどん入ってくると、一番最初の「ちょっと子供を産んでみようかな」が、いつの間にか複雑で面倒なものになってしまう。


う:「どうせなら、稼ぎのいい相手がいい」とか「長男はイヤ」とか、「子供好きじゃないと困る」とか……。


岡:おまけに、いい男じゃないとダメとか。


う:あぁ、いい男!(笑)


岡:そう。いい男。こう並べると、その無茶さが心にしみてくるよね。そんなの、お砂糖みたいに甘っちょろいんだよ。「どうせなら」「ついでに」「せっかくだから」が多すぎ!(笑)


↑(引用ここまで)
------------


…いきなりこの文章を目にした方は、なんだか岡田氏が一方的に現実味のないことばかり言っているように感じ、不快に思うかもしれません。
男友達に、子種だけくれだなんて!
セックスするのに、そこに「恋愛」がないなんて!
子どもができたのに、そこに「結婚」がないなんて!
子どもをたった1人で育てるなんて!
…仮に自分が良くても、親が許してくれるわけがないだろうし、世間的にも許されない気がしまくりです。。


しかし、しかしです。
親や世間体や現代日本に限定された価値観にとらわれないで、「真に自分が幸せであるためには何が必要か?」「真に子どもが幸せであるためには何が必要か?」という根本に一度立ち返って考えてみることも、大切ではないかと私は思うのです。
…そして岡田氏はこの本をもって、私たちに立ち返って考える機会を与えてくれていると思うのです。私たち現代日本人の凝り固まったアタマをほぐしてくれるために。


その上で、「やっぱり私は、自分が本当にしたいことよりも、親や周りの目の方を優先しないでは生きていけない」と結論付けるなら、それはそれでいいと思うのです。無自覚に「結婚」に突っ走るのではなく、「自分の本心よりも周りの目を優先する」なんていうふうに、自分の選択に自覚的になれているのですから。


…私自身、そうして「真に自分がしあわせとは?」という問いの根本に立ち返って考えてみたとき、『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)で、江川氏がセックスと結婚と育児について、次のように言及していたことを思い起こします。


↓(ここから引用)
子育てが大変なのは当たり前である。昔はじいさんやばあさん、なぜか家の中に入り込んでいる近所のオヤジ……といった具合に、父母以外のいろんな人が子育てに関わっていた。だからこそバランスのとれた子どもが育てられたのである。子育ては、両親だけで何とかなるようなものではないのだ。もっと言うなら、親が子どもを育てるという考え方は頑迷である。子どもと関わるのが得意で、「自分の子どもだという事実関係がなくても私は子育てをやりたい」という意志のある人が育てればいい。親が誰かなんてことはどうでもいいのである。
もともと、子どもは親のものではなく、社会のものである。したがって、社会で育てるという選択肢も十分考えられるのであって、子育てだけのために婚姻制度が残っているとすれば、そんなものなど廃止して、本当に子どもにとってよい育て方ができる形態を作っていくべきなのである。


だいたい、国の制度で子育てをどうにかしようという考え方は間違っていると思うのだ。昔のように、じいさんばあさん、兄弟……みんなでそだてるというのもありだし、学校で育てるというのもあり。乱交パーティやったらその中の誰かに子どもができて、誰の子かわからないけど、参加メンバーみんなで子育て、というのももちろんありである。みな、その程度のノリで、もっと積極的に子育てに参加していけばいい。

↑(引用ここまで)


…やや過激な話に聞こえますが、社会にとっての「子ども」の扱い方の起源から見た、パラダイムに縛られない、非常にニュートラルな見解だと思うのです。


でも…
『ちゃんと恋愛して結婚したい』?
『一生1人なんて寂しいし、自分の子供も欲しいし』?
『でも、子供には父親が必要でしょ』?
『「どうせなら、稼ぎのいい相手がいい」とか「長男はイヤ」とか、「子供好きじゃないと困る」とか』?


…いったい、どちらの意見が「現実離れ」なのでしょうか?


ペタしてね