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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(26)


たとえば不良が改心して、何かまともなことをやるという話が感動的なのはわかる。
だけどそれなら完膚無きまでに叩きのめされた方がいい。


心を入れ替えたワルがスポーツか何か始めて、ちょこちょこっと練習して勝ってしまう、みたいな話にはうんざりだ。
真面目に練習してきた奴の立場はどうなるのか。
そんな簡単に勝てるなら、なんでみんな汗水垂らして練習をするのか。


↑(引用ここまで)
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不良が改心して、何かに打ち込んで勝ちあがり、日本一になる…そんなワンパターンに飽き飽きし、「そんな簡単に勝てるわけないやろ」「毎日真面目に練習してきた奴らに失礼だ」とリアリティを感じられなくなっているのは私だけでしょうか。


丸坊主にして、挨拶や礼儀を叩き込まれ、「スポーツをやらせてもらっている」ことへの感謝、グラウンド(道場)や道具に対する感謝を忘れない…そんな「スポーツマンシップ」に美学を求めているだけなのかもしれません。
チャンピオンスポーツにそんなものは関係ない、金髪にピアスだろうが、礼儀がなっていなかろうが、勝った奴が偉いと言われれば、そうなのかもしれません。


しかし、そういった「不良改心」パターンの二番煎じ、三番煎じが世にはびこるあまり、「日々コツコツと地道に訓練する」若者たちを軽視する傾向が強くなっているように思えてならないのです。
それはスポーツに限らず、勉強でも、ボランティアなどの活動でも、です。


代表的なところでは「東大生は勉強ばかりで頭がカタく、常識を知らない」という偏見でしょうか。
たしかに、東大生の中にも、そういうコミュニケーション能力に劣るような人も多くいるでしょう。でも、少なく見積もっても半分くらいはバランスのとれた優秀な若者がいるでしょうし、かつ「労働」をしていたのでは得られない「専門的知識」「学術的経験」も持っている、というところにはなかなかスポットが当たらない、と私は思うんです。
…少なくとも、不良たちがパチンコやカラオケで遊んで暮らしている間、実験をしたりレポートを書いたり調査に行ったりして「訓練」にいそしんでいたのですから。


「訓練」「真面目に練習」を鼻で笑うかのような「不良がちょこちょこっと練習して勝ってしまう」パターンの蔓延。
そんな世の流れに、私は違和感と危機感を禁じえないのです。


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