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↓『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫著、現代書林、2001)より引用(06)
岡田氏:おもしろい話をさせるのもいいよ。できる男もいる。だけど、そのことに関して男の子に努力をさせちゃったら、あとで必ずしっぺ返しがくる。
うさぎ:どんな痛い目みるんですか?
岡:よく「釣った魚には餌はやらない」っていうでしょ? でも、あれってすごく屈折した言い方なわけ。男の子も、あんなあくどいことを言いたいわけじゃない。言いたいのは、それまで、どんなにみんな苦労したかってことなんだ。
う:もう、ガンガン餌をあげまくって大変っていう?
岡:「君らわかってる? 魚釣りって、前の晩から仕掛け作って、コマセして、電話かけて日の出の時間確認して、3時間車に乗って、寒い中ダウンジャケット着てやるんだぞ。家に持って帰った魚に対して、そこまでしないでしょっ、普通」っていうぐらいのニュアンスなわけ。露悪的に言ってることは確かだけど、実はそれぐらい恋愛っていうのは、男の子にとってプレッシャーなわけ。何しろ女の子は消費者根性いっぱいで、会った瞬間からすっごく気を使うことを強要されてるからね。
う:だから反動で、そうなっちゃうんですね。「いっぱい受験勉強してやっと大学入ったから、もう勉強なんかしない。さぁ、遊ぶぞ」、ってやつですね?
岡:そうそう。それなのに、それを余裕持ってしろとまで言う。「ガリ勉ってかっこ悪い。余裕を持っていい大学に入ってくれなきゃ」とか言われてるわけ。
う:余裕ある男&おもしろい男。条件をかけるとそうなりますね。
岡:そうなんだ。「全力でやってるのはイヤ」っていうのは、「あなたが努力してるのは見せないでほしい。だってそんな努力を見せられたら、私、気を遣っちゃうじゃない」っていうことだもん。私を楽しませてほしいけど、私に気を遣わせるなって。
う:あぁ、そういうカラクリになりますねぇ。
岡:まぁこれは、ちょっと男の子に味方して言ったんだけどね。幸せ感を与えるっていうのは、実はすごいプレッシャーなんだ。わかってあげてほしいよ。だって、素のままの自分で、相手に幸せ感を与えられるかどうかってなると、自信あるわけないじゃん。そんな素のままの僕なんか見たかないでしょって、男の子はみんな言いたい。
女の子だって、そうだよね。女の子は女の子で、私ら少なくとも外に出る時はメイクもしてファッションにも気を使ってるのに、あんたらまずその段階で、半分ボツッていう感じでしょ?
う:うんうん。半分以上ボツですね(笑)。
↑(引用ここまで)
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…『あなたが努力してるのは見せないでほしい。だってそんな努力を見せられたら、私、気を遣っちゃうじゃない』。
…『素のままの自分で、相手に幸せ感を与えられるかどうかってなると、自信あるわけないじゃん。そんな素のままの僕なんか見たかないでしょって』。
最近流行りの「ありのままの自分を認める・認めてくれる」なあ~んていうあまっちょろいメッセージに、喝を入れてくれているようで、非常におもしろく、感銘を受けます。
「素のままの自分」なんて、ひとりでいるときなんかに勝手に自分で認めてやればいいんであって、少なくとも他人と関わるコミュニケーションの場において「素のままの自分」を出すなんて、失礼だと思えよ、と言いたくなる気持ちは、痛いほどわかります。他人にそんなお粗末なもん見せるなよ、と。
前回も言いましたが、「ありのままの私が好きなんじゃないの?」みたいな台詞をさらりと言ってのける人を、私はどうしても訝しんで見てしまうのです。
いやいや、その台詞を言うことが許されるのは、「素のままの自分」と「コミュニケーションにおいてサービス精神をもって臨む自分」とが近づくよう日々努力している人間だけなのであって、自他共に認識されてもいないレベルの「ありのまま」しかお持ちでないキミがそれを言うな、と。
身の程を知りなさい、と言いたくなることは多いです。
…たとえば、会う約束をしていたのに、時間になっても全然連絡がつかなかったとき。
「いろいろあって大変だったの」と自分の立場を守るために言い訳話を連発し、相手の理解を求めてしまうか。
「ほんとにゴメン」と相手の納得とその日の雰囲気の挽回を第一優先とし、一日中それに全力を注ぐ姿勢をとることができるか。
…たとえば、職場でどうしても納得いかない不満ごとがあったとき。
「これってひどいと思わない?」と、聞いてもらいたいだけなのか、解決策を出してもらいたいのか明確にせず、ただの「聞き取りサービス業」を平気で相手にさせてしまうか。
話し方や言葉尻にエンターテインメント性を持たせたり、笑い話を混ぜたりして、自分の話したい気持ちと聞かされる側の気持ちのバランスをとって話ができるか。
「ありのままの私を認めてほしい」vs「人として当然の気遣い」。
恋愛や、職場の人間関係をはじめとした、コミュニケーションにおける多くのトラブルは、この構図に集約されると思うのですが、昨今の「ありのままを認めてあげる」流れが、このおかしな構図を助長しているように思えてなりません。
