今から数年前、友人のY君たちとゴハンを食べに行ったときに、子どもが騒いでいました。
座敷の横をはしゃいで走り回る子どもたちを見て、最初は「せっかく比較的静かなお店だから多少値段が高いけど…と思って来ているのに、うるさくてかなわん」「でも小さな子どもを持つ親御さんも大変か…」と思って我慢していました。
でも、しばらく経っても親が叱る雰囲気もないので、だんだん腹が立ってきて、ついに「オイ、親! いい加減黙らせろや!」と大声を上げてしまいました。。
とにかく「せっかくの食事の場なんだから、気分悪く食べるのはもったいない!」という一心で、その後もできるだけ何事もなかったように、ゴハンを食べながら会話を続けたのですが。。
…翌日、そんなことはすっかり忘れてしまっていた私に、Y君が突然「昨日大声をあげたのは、個人的な感情からだったのか、親を啓蒙しようとして言ったのか」と聞いてきたのです。
もし、私が個人的には腹が立っていないにも関わらず、親を啓蒙するためだけに怒るパフォーマンスをしたならば、それは「公共の場では親は子どもをしつけるべきだ」という自分の価値観の押しつけになるのではないか、と彼は言うのです。
思いもよらなかった彼の質問に、私は考え込んでしまいました。
…それから彼としばらく話をしたところ、結局私は、個人的に腹も立っていたし、その子どもの親への啓蒙の意味も含ませたかったのも事実だし、注意せずに我慢して過ごしたときの後味の悪さも身に染みてわかっていたし、なにより我々の楽しい食事を邪魔してほしくなかった、といういくつかの要因があって、大声をあげるに至ったということがわかってきました。
「自分の心地よさ」と「周りへの啓蒙」のバランスをとること。
対人的なトラブルに出くわしたとき、上手に怒れる人でありたいものです。
