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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(43:紳助)
この間、友達と三人で淡路島に行った。
その帰り道、帰りは早く感じるなあという話になった。
話しているうちに、そういえば、子供の頃の一年は長かったなあ。今の三年や四年分くらいには感じていたのに、今は一年が経つのが早いこと、早いこと。それと似たようなものなんじゃないかということになった。
「でも、それはなんでだろう」と友達がいった。
それで僕は、こう答えた。
「待ったら、長いらしいで」と。
人を駅で待ったら、ちょっとの時間でもすごく長く感じる。
それと同じことで、子供の頃はいろんなものを待っていた。
夏休みを待った。冬休みを待った。クリスマスを待った。遠足を待って、運動会を待って、ほんとにあらゆるものを待っていた。
「待ったら、なかなか来いへんのや」と。
だから、時間を長く感じたんじゃないかと。遊びに出かけるときも同じことで、そこへ早く着かないかなと、待ちわびるから長く感じるというわけだ。
そしたら、友達のハシヅメ君がこんなことをいいだした。
「それはいえる。でも、これもいえへんか。一回通った道は早く感じるんやないか」
初めての道は不安があるから、標識もよく見るし、とにかくいろんなものを見てる。その間には珍しいものもあったりするし、好奇心が湧くこともあるだろう。ところが一度通った道は、余裕があるから、そんなにいろいろまわりを見ていない。何も考えないで、ただ走って来る。だから早く感じるんじゃないか、と。
子供の頃は、その行き道と同じことで、自分の進む道がいつも不安なのだ。この道でいいんだろうか、この道は間違ってないかって、いろんなものを見て、考えるから一秒一秒を長く感じる。大人は帰り道みたいなもので、そういう不安がないから、何も考えていない時間が長いから、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
そんなことを話しながら、帰ってきたのだけれど。
だから、帰り道は、違う道で帰らなければいけないなと思う。
旅行でも、人生でも。
↑(引用ここまで)
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「不安」と「余裕」。
「不安」は、自分自身を鍛え、向上させるのに不可欠な要素です。
自分はこれでいいんだろうか、おごり高ぶってはいないだろうかと、自分自身に反省を促す「不安」。
逆に、全く「不安」がない状態でいると、人間は進歩することをやめてしまう、とも言えます。
「余裕」は、たとえそれが無根拠であっても、自分に自信を持って、ある一定の満足を得ている状態でのみ生まれるものです。
「足ることを知」り、あるがままを必然として受け入れることのできるその姿勢は、不満ばかりで他人のせいにしてしまう弱い気持ちを静めてくれます。
紳助氏の言うように、子どもは「不安」があるから(逆に言えば「経験」がないから)、すべてのものが真新しく見える。失敗を恐れずチャレンジできる。
大人は「経験」があるから、たいていのものを新鮮には受け取れない。でもそれは、子どもに「教える」ゆとりを持っていることも意味していると思うのです。
最近はとかく「チャレンジ精神を失わない”少年”のような人」が喜ばれる傾向にあるようですが、自分のことをきっちりこなした上で、「余裕」を持って、若者を啓蒙できるような大人でありたいものです。
