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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(37:紳助)


今のこういう日本には独裁者が必要なのだろうか。
僕が独裁者になったら、絶対にこの国を立て直す。
子供は携帯を持ったらいかんとか、迷惑メールを打った奴は死刑に処すとか。いきなり飛躍するけど、悪いことをした官僚はもちろんみんな死刑。
それこそ織田信長みたいにやっていかないと、絶対この国は良くならない、と思う。


↑(引用ここまで)
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…『子供は携帯を持ったらいかんとか、迷惑メールを打った奴は死刑に処すとか』。
子どもに携帯を持たせない。
子どもにやみくもに権利を与えない。
そうやって、意図して子どもに「身の程をわきまえさせる」場面を作ることが、今の時代は必要なんだと私は痛感します。
かつては、情報は大人が独占していたし、子どもも大人の言うことを聞いていかなければ、自分の生きる術を作れませんでした。
でも、いまや情報は大人だけが独占できるものではなくなってしまい、大人や他人の言うことを聞かなくたって、べつに生きていけます。
「身の程をわきまえる」必然性がなくなってしまったのです。


…でも、必然性がなくなった現代日本でも、「美しく、まともに生きて欲しい」「礼儀作法のできる人間であって欲しい」などの教育方針をあなたが持つのなら、意図的に「必然性」を作り出すことが必要不可欠だと思うのです。
子どもに携帯を持たせないことで、「情報」や「居場所」を制限する。…「家族」の重要度を相対的に高めさせるためです。
子どもに口の聞き方から行儀作法、門限に至るまで、「権利」を制限しておく。…身の程以上の「権利」を与えず、「躾」を行き届きやすくするためです。
…まあ、常日頃から、親が「何を美しい・まともと思うか」「なぜそうしなくてはいけないのか」という「意図」を子どもに切々と話し、子どもに納得させた上で実行することも大切だと思うのですが。。


自然と「身の程をわきまえる」能力が身につく時代ではないのだから、そこには紳助氏の言うような「意図」と「強制力」を持たせるしかないと思うのです。
「みんなが自由気まま、他人への配慮もなく、礼儀作法もなく、自分勝手」な日本でもべつにかまわない、という人が大半なら、無意味な「強制力」ですが。。


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