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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(30:紳助)


いちばん下の子は、ものすごく本を読む。小学校三年生の夏休みには八十冊も読んだらしい。だから、ものすごくものを知っている。


二番目の子は、出来がものすごくいい。立命館大学に入って三日目にウチに帰ってきていったことが、「あの大学には学ぶべきものが何もない」。それでアメリカに留学した。受験勉強していた頃は、僕がどんなに邪魔しても、勉強して、勉強しまくって、夜中になるとよく泣いていた。もう覚えられない、頭に何も入らないって。
「お前の頭は今、口切り一杯にまで水が入ったコップみたいなもんや。それ以上入るわけない。あふれてるんや。それがあふれて流れてるんや。もう寝えや、あほう」
僕がよくそんなことをいって、無理矢理寝かせたような子だ。


長女は、僕にいちばん似ているかもしれない。家族の中のボケの役割をよく演じてくれてる。幼稚園の頃、先生に変な子だっていわれて、嫁が怒っていた。だから僕はいった。
「ええ感じやないか。幼稚園の先生には常識の枠があんねや、その枠からはみ出した子は先生にとって変な子いうことになるねん。でもな、その枠の中におる奴は、その幼稚園の先生超えられんぞ。そやから、幼稚園の先生が変な子だと、理解でけへんっちゅうのは素晴らしい話やないか。なんかおもろいことになるでえ」


↑(引用ここまで)
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…『ええ感じやないか。幼稚園の先生には常識の枠があんねや、その枠からはみ出した子は先生にとって変な子いうことになるねん。でもな、その枠の中におる奴は、その幼稚園の先生超えられんぞ』。


…最近知った話なのですが、私は小さい頃、相当トリッキーな奴だったらしいのです(今でも十分そうか…笑)。
父が言うには、私はまず「学校」というところが何をするところなのか根本的にわかっていなかったようで、授業中、いつもお絵かきか何かをして遊んでいたそうです。
小学校の先生に注意されても、「なんで?」という顔をするばかりで、「授業中に他のことをしてはいけない」という基本ルールがあることを全くわかっていなかったそうなのです。


さらに遠足などでは、先生の誘導に従ってみんなは道を横断して左折しているのに、私だけ右方向へ行き、あわてて先生が「みつなり君、みんなこっちへ行くのよ」と言っても、「うん! おれはこっち行くから!」とわけのわからないことを言い、先生があわてて私を止めに来たというエピソードもあったほどだというのです。


そんな私が小学校も3年生になった頃、絵を描いたり、おもしろおかしい行動をしていた私の周りにそれまで集まってくれていた友だちが、だんだんと離れていくようになったのです。
私は父にそのことを真剣に相談したようで、そのとき父はこう答えたそうです。
「あのな、学校というところは『勉強』するところなんだ。わかるか? 遊ぶところではないんだ。だから、いくらおまえがおもしろい奴でも、みんなは学校に『勉強』しに来ているわけだから、『勉強』を全くやらないおまえからはだんだん離れていってしまうんだと思うぞ。」
父のその回答に私はえらい納得したらしく、そのときを境に目の色を変えて勉強し始めたというのです。…私自身は全く憶えていないのですが。。


…今聞くと笑ってしまうような話ですが、大人になった今のわたしの生活上のトリッキーさを考えると、どうにも納得してしまう幼少時代だなあと思ってしまうのです。
…少なくとも、学校の先生の常識の枠からははみ出てたかな?w


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