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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(29:紳助)
家族は人生において、絶対に必要なものだと思う。
新しい空気がどんどん入ってくる。
困ったこともあるけど、その分だけ喜びがたくさんやってくる。
ウチは三人しか子供ができなかったけれど、子供は五人でも十人でも欲しかった。
ほんとに、十人くらい欲しかった。
僕は一人っ子で、親にすごく期待をかけられた。
「お前は勉強できるんや、だから勉強せい。いくらでも勉強させたる」って。
それがきつかったから、自分は絶対にそういう親にはならないと決めていた。
その代わりに、ウチの三人の子供には、小さい頃からいっぱい話をした。
運動会のいちばんと、勉強のいちばんはまったく同じだ。それぞれの、能力の違いなんだから、と。先生に聞いたって、それはそうだというだろう。
「そやのに、親も先生も駆けっこで遅い子は本気で怒らへん。一生懸命走ったんやからええっていいよる。なのに、勉強がでけへんかったら怒りよる。これはすごい矛盾してると思うんや。運動会の成績は許してくれるのに、なんで勉強の成績は許してくれんのか。おとうは、ちっちゃいときからそう思ってた。そんな区別はない。いちばんに走ることも才能なんだから。勉強でけへんでもいいよ」
そういうことを繰り返し繰り返し、話し続けた。
お前らが将来どうなろうがいっさい関係ない。なんの期待もしていない。愛しているから期待しないとも、僕はいい続けた。
「何もでけへんかった親ほどな、自分の子供に夢をたくすんや。おかしいと思わへんか? 自分がでけへんかったものを、お前やれって。無茶苦茶おかしいやろう。やった親がゆうんやったらわかるけど、でけへんかった親がいうのはおかしい。俺は勉強でけへんかったから、お前ら勉強せえなんていわへん」
僕は子供に、勉強しろといったことがない。邪魔はよくするけど。
「もうええやんけ、そんな勉強したって人生変わらへん。それより遊ぼうや」
子供が勉強してるとそうやって邪魔ばかりするので、いつの間にかあいつらは、僕が東京にいって留守の間に一生懸命勉強するようになった。
だから僕は子供の教育はなんにもしていないのだが、ただ、嫁の場合と同じで、とにかくいっぱい話すことにしている。よその家の、五十倍から百倍は喋っていると思う。
僕は喋るのが仕事だから、そうやって喋るのが苦にならないのかもしれない。
でも僕だって、子供のためと思って、頑張って喋っていることもあるのだ。
↑(引用ここまで)
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…『お前らが将来どうなろうがいっさい関係ない。なんの期待もしていない。愛しているから期待しないとも、僕はいい続けた』。
愛しているから、期待しない。
「期待しない」とは、見返りを求めないことです。相手を自分のモルモットにしないことです。
これは、恋愛や、友人関係にも通ずることだと思います。
見返りを求めたり、相手を自分なしではいられない状況に追い込んでしまったり、逆に相手なしではいられない状況に陥ってしまうような人間関係は、それは「自己愛」にすぎないと思うのです。
結局は、自分の方がかわいい。
それが、自分のことよりも「かわいい」相手ができたとき、それを「愛」と呼ぶのかも知れません。
