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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(15)


少し真面目な話をすれば、まず大前提として、誰にとっても都合のいい政府なんてものがあるわけがない。
社会の理想として「自由と平等」が言われるけれど、そもそも自由と平等が両立することはあり得ない。
みんなが自由にやれば、差がつくのは当たり前の話だ。
格差社会は自由な社会の必然の帰結というわけだ。
それじゃあまずいだろうというので、格差をなくす方向に進めば、個人の自由が犠牲になる。


↑(引用ここまで)
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「自由」な競争あるところに、「平等」は存在しえない。
生まれながらにして才能をもつ者、他の人間が寝ている間に地道に訓練を積み上げてきた者が、そうでない者と「平等」な報酬、「平等」な扱いを受けられない。
これは、厳然たる事実です。


ところがどうでしょう。
「みんなに自由と平等を」みたいなフワフワしたスローガン的なことをしたり顔で言う人間の多さときたら!
「自由」と「平等」の起源や意味もよく考えずに、「自由 = いいこと」「平等 = いいこと」だと盲信しきって政治に文句ばかりたれる人間の多さときたら!


人間はもって生まれた能力、生まれた国や時代、親の経済力、等々において本来的に「不平等」だし、また、「自由」とそれについてまわる「孤独」と向き合えるほど強くはありません。
…まずは、この「自由と平等は両立しえない」という事実を、きっちり認めましょうよ。
政治家に対して不信感を持つのも、社会的弱者の「権利」ばかり主張するのも、その後で十分なはずです。


そういう意味で私は、「”人間は不平等だ”と言ってはいけない雰囲気」を嫌います。
「今の時代は”民主主義”なんだから、人はみんな”自由で平等”でなくては!」みたいなことを飄々と言ってのける奴の横っ面を張り倒したい…とまでは言いませんが、そんな小学生の学級目標みたいなお題目を盲信しきっている人の思考停止ぶりには、苦言を呈さずにはいられないのです。


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