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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(27:紳助)


もっとも一度だけ、真剣に離婚することを話し合ったことはある。
嫁が、「自分の力で、自分の人生を生きてみたい」といいだしたのだ。
「自分の人生というものを、いっぺんゼロから試してみたい。だからあんたがいたらあかんねん。あんたに守られていては、自分で生きることにはならん」と。
嫁のいうことは非常によくわかった。僕もそれなら、離婚に応じるということになったのだ。
そのときは、まじめに何ヵ月も話し合いをした。
結局は金銭面で話がつかずに、決裂して、離婚の話は流れたのだ。


金銭面で、というと誤解されそうだから、きちんと説明しよう。
僕は嫁に、離婚するなら金は折半にしようといったのだが、嫁はお金は要らないというのだ。お金を貰ったら意味がないと。それでは人生をゼロから始めることにはならないと。
でも僕はそれは違うと思ったのだ。
「僕ら夫婦は、俺がレーサーで、お前がメカニックだった。ふたりでチームとしてやってきた。それでいい成績をおさめたのはふたりの成果や。俺が目立つ、お前は目立たない。だから『私は役に立ってない』とお前はへこむ。でも、そうじゃない。メカニックとレーサーがいて、はじめてレースに出られたんや。で、今お前がいうてることは、私も走ってみたいということや。これは俺としては、認めなしゃあない。私も人生一回は走ってみたいと、ずっとメカニックをやってくれたお前がいうんやから。俺はお前を愛してるから、それを認めて離婚しよう。走りたいんやったら、走るべきや。ただ、今まで得たものは折半や。これから俺が稼ぐ分についても、ずっと半分はお前にやる。それはずっと折半や。そういうことやったら、この話をのむ。お前が一銭も持たんと家を出ていったら、俺だって一生ごつい居心地悪いんやからな」
僕はそう嫁にいった。でも、嫁はそれだったら意味がないといい続ける。それでずっと平行線の話になったのだ。最終的には長女も交えて話をした。


すると長女は僕の言い分に軍配を上げた。
「それはおっとうが正しい。お金をあげるゆうてんやから貰えばいい。お金は貰えるわ、おまけに世話はせんでいいという最高の暮らしが待ってるやないか。ママ、そうしいや」
そういって離婚を勧めたけれど、嫁はそれでは意味がないといって譲らなかった。
それで話は壊れた。
税理士の先生のとこにも電話して、どうしたらすべてをきちんと折半できるかということについて相談までしたのだが。
この話をすると、聞いた人からは、離婚する際に今までの稼ぎとか貯金を折半するのはわかるけど、どうして離婚後の稼ぎについても、半分に分けるのか、とよく聞かれる。
それについては、僕は嫁にこういうことをいった。
「お前が俺と結婚したとき、俺が将来どうなるかはまったくわからなかった。走るか走らんかわからん馬に賭けたみたいなもんやから、その馬が走ってる限り配当は貰うべきや。走るか走らんかわからん馬を馬主として買うたんやから、その馬が引退するまで賞金の配当を受ける権利はある」と。


いい話だって?
僕はそんなにいい話でもないと思う。財産全部持ってけって、そういうきれいな気持ちは僕にはぜんぜんない。
単純に、非常にシビアに、それぞれの持ち分を折半するという話。半分は僕のものだ。でもあとの半分は、どう考えても嫁のものだから、と今でも僕は考えている。


↑(引用ここまで)
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…紳助氏の奥さんが『自分の力で、自分の人生を生きてみたい』と言ったのは、とっても潔いと思います。
また、それを受けて、本気で『離婚後の稼ぎも折半しなきゃダメだ』と言える紳助氏も、とっても潔いと思います。
しかしながら、この話がいい話かどうかは置いておくとして、『お前が一銭も持たんと家を出ていったら、俺だって一生ごつい居心地悪いんやからな』と紳助氏が理由付けするのは、とてもよくわかる気がします。まったく正当な理由だと思うのです。


一方が、傍目に見たらとても不利な条件をのむと言う。
その人は、「自分がこの条件でいいと言っているんだから、それでいいじゃないか」と言う。
でも、言われた方が、その後のその相手との関係を想像してみたら、ものすごく「後味が悪い」ことに気づき、やめてほしいと言う。
こんな場面って、たまに出会いますよね?
…そんな場面に出会うたび、私は「いやいや、それが言えるあなたは確かにカッコいいし、それで納得してらっしゃるんでしょうけど、みすみすそれをやらせてしまうこちら側の、『ちょっとした惨めさ』や『後味の悪さ』もわかって欲しいなあ」と、そう思うのです。
さらにその人が「自分は良いことをしている」と思ってたりなんかすると、よりタチが悪い場合があります。


…一見ストイックなカッコよさの中に見え隠れする横暴、と言ったら言いすぎでしょうか。
金銭的・物質的メリットよりも、「後味の悪さ」という精神的デメリットの方が、言われる側にとって大きいことも、そりゃあると思います。
「後味悪い方がイヤだ」と思うことだってワガママじゃないかと言われてしまったら返す言葉もありませんが、そういう言動に出るとき、結果は同じにしても、ほんの一瞬でも「これ言ったら相手が『後味悪い』かも」と頭によぎって欲しいなあ、と思うのです。
…そこまで他者への配慮を忘れないで欲しい、と思ってしまうのは求めすぎかなあ。。


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