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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(14:松本)


そして僕らは、初めての舞台に立った。
それほど緊張はしてなかった。
なにせ小学校低学年の頃から、漫才をしてきた僕だ。
教室と劇場では、入れ物の大きさからしてまったく違うけれど、前に座ってる人間相手にしゃべって笑わすという構造は同じだ。
誰も考えたこともないようなおもしろいことを喋れば、誰だって笑う。
しかも僕の発想は、そんじょそこらのお笑いとはわけが違う。単に笑うだけでなく、腹をよじって、もうこれ以上笑わされたら笑い死にするからやめてくれというくらい、笑うに決まっている。
完全にそう信じ切っていた。


ところが、である。
これが、ちっとも、信じられんくらいウケなかった。
ほんとに洒落にならないくらい。
なんとか笑わそうと、僕がボケればボケるほど、浜田がつっこめばつっこむほど、客は引いていく。いや、引くというより、そもそも僕らの話を聞いていない。
そのうちに、ここはいったいお笑いの劇場なんだろうかと疑いたくなるくらい、客席には冷え冷えとした空気が流れ始めた。
お笑いの芸人にとって、これほどつらいことはない。
たとえ楽屋でどんなひどい目にあおうが、熱湯をぶっかけられようが、ムチでしばかれまくろうが(実際に僕らがそういう仕打ちを受けたというわけではないから念のため)、舞台でまったくウケないことに比べたら、そんなもんはなんでもない。
客がくすりとも笑わないこと。それは芸人が見る最悪の悪夢だ。
その悪夢が、初舞台で現実になった。


初舞台はそういうものだという人がいるかもしれないが、僕らの場合はそういう状態がそれから何年間も続いた。
ここで勘のいい人には、「ははーん、なるほど」と、思い当たるフシがあるかもしれない。
「ダウンタウンは平日の劇場の洗礼を受けたんやろ」と。
たしかにそれも一理ある。
子供の頃は、休日にしか行かなかったからわからなかったのだが、平日の劇場というのは基本的にサムい場所なのだ。
おまけに、前座の前座である僕らが出ていた時間帯は、芸に期待する客など一人もいない。
なにしろ、若い客は皆無。極端にいえば客席は、「暇だからあそこでちょっと座っとこうか」というじいちゃんばあちゃんばっかりなのである。
「客が悪い。悪すぎる。あの年寄り連中に、発想が売り物の、僕らの漫才のおもしろさを理解せいっちゅう方が無理や」
あまりのウケなさ加減に落ち込みながらも、当時の僕らはそうやって自己弁護をしていた。
つまりウケないのを、客のせいにしていた。


けれど、今から考えると、それは間違いだった。
公平にいえば、どっちもどっちだったと思う。
平日のあの時間帯の客に笑いのセンスも、そもそも笑おうという気も、あんまりなかったのは事実だが、僕ら自身にも問題があったのだ。
なんといっても、まず声がでていなかった。
あの頃はたぶん、僕らの喋りがちゃんと聞こえてたのは、前から何列目かのお客さんまでという感じだったと思う。
素人とプロの違いはいろいろあるけれど、いちばんはやっぱり声の大きさだ。
素人は喉で喋るが、プロは腹で喋る。
だから、プロはどれだけ大きな声で何時間喋っていても、喉をつぶさない。そういう喋りが、あたりまえの基本が、あの頃の僕らにはできてなかった。
要するに素人だった。
でもそういうことがわからないから、僕らはウケないのを客のせいにしたのだ。


↑(引用ここまで)
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…『あたりまえの基本が、あの頃の僕らにはできてなかった。要するに素人だった。でもそういうことがわからないから、僕らはウケないのを客のせいにしたのだ』。


就職やら転勤やら進学やら、新しい環境に自分の身を置いたとき、その環境にうまくなじめなかったり、自分を正当に評価してもらえなかったり、「どうもうまくいかない」「しっくりこない」ことって、よくあります。
そんなとき、松本氏が初舞台から数年間もの間感じていたような「環境のせいだ」「他人のせいだ」という感覚は、どうしても持ってしまうものです。
でも、松本氏が今になって感じている「あれは結局は自分のせいだった」という感覚が、どうやら正解だと思うのです。
新しい環境に馴染むのも、自分を正当に評価させるのも、実力のうちです。
無理に周りにあわせる必要はないとは言うけれども、どんな面々とだってうまく立ち回れることだって、実力のうちなのです。


私も若い頃は「郷に入りては郷に従え」という言葉がどこか嫌いで、「自分は自分のやりたいようにやる!」と息巻いていたものでしたが、今になって考えれば、実力も経験もないヒヨッコが、先輩たちにずいぶん生意気な口をたたいたなあ、と恥ずかしくなってしまいます。
誰にも文句を言わせない仕事をできない奴が、生意気を言う資格なんて、ないのです。
基礎もできていない奴に、「個性」なんて言葉を使う権利なんて、ないのです。
今から数年前の自分に、そう言いたい。
そんな気分にさせてくれた、松本氏の文章でした。


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