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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(09)
残酷な話だけれど、才能は誰にでもあるものではない。
そもそも、誰にでもあったらそれを才能とは呼ばないのだ。
ところが今の世の中では、誰の中にも才能は眠っているということになっている。
「その才能という宝の山を、埋もれたままにしてはいけない。私がその宝の山を探すお手伝いをしましょう」と、いうわけだ。
これは、笑ってしまうくらい古典的な、昔ながらの詐欺師の口上だ。
↑(引用ここまで)
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学校の「おべんきょう」にしても、スポーツや芸術にしても、埋もれたままになっている「才能」があったらもったいない、うちの子どもにも「可能性」があるなら伸ばしてやりたい、いやむしろ自分自身にもまだ「可能性」があるかもしれない、なあ~んてみなさん不安がって、塾やらお稽古ごとやら専門学校やらに一生懸命カネをつぎ込む。。
…そんな姿を見ると、庶民の身の程知らずな「不安」につけこんで、「ほら、またカモが来た」とほくそ笑む商売人たちの顔がちらついて見えるのは、私だけでしょうか?
自分の周りの人たちや道行く人への心遣いを学び、出すぎたことを考えず、日々慎ましく暮らす。
まじめに、地道に生活して、そして死んでいく。
それでいいじゃないか、と思えない「自分は”平凡”でない」症候群がだいぶ蔓延しているように思えます。
あなたやあなたの周りの人たちは、そんな商売人たちのおいしい「カモ」になっていやしませんか?
せめて自分の子どもくらいには、「平凡に、まじめに、周囲の人を気遣って生きられれば、それでいい」と教え込んで家を出ていかせなあかんよなぁ、と昨今の「自分は”平凡”でない」ブームにのっかる人たちを見ては、強くそう思うのです。
