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↓『フロン』(岡田斗司夫著、海拓舎、2001)より引用(28)


この本では、女性がこれからどうなってしまうのか、どうしたら幸せになれるかを書いてきました。
でも、男性も同じことです。
女性同様、父親や夫という存在から自由になって、一個人に戻るべきなのでしょう。それは、他の女性を好きになろうと、何人と恋愛しようと、かまわないということでもあり、同時に、誰かが生涯の伴侶になってくれることは絶対にありえない、ということでもあります。


「家族がいるから」「責任があるから」とあきらめていた転職を考えることでもあるでしょう。いままでは「家族かあるから仕方ないんだ」と目をつぶっていた仕事場の不正を告発することかもしれません。
「家族がいる」「責任がある」は、もう私たち男性の逃げ場にはなってくれないのです。
いままで、結婚しているから、父親だからという理由でやらなかったことを、今度は「自分は本当はどうしたいんだろう」と考えて決める必要があります。倫理観や世間の目を気にせず「本当にしたいこと」をみつけるのは、案外むずかしいことかもしれません。


本当は、そんな自由なんて自分は欲しくなかったのかもしれない。


でも、この「何となく不安で寂しい状態」こそが、人生の本質なのだろうとも思います。この寂しさをいかに紛らわすかが、幸せを追求するという行為の本質なのでしょう。


振り返れば「温かい家庭という安らぎ」が見える気もします。「運命の糸で結ばれた生涯の伴侶」が、どこかで待っていてくれる気もします。


しかし、それらはいまや私たちをあてもないオアシスへと誘い苦しめる、砂漠の蜃気楼なのです。
私自身、この寂しさを噛みしめながらも、いかに生きていくか、模索している最中です。
皆さんもぜひ、いまの自分の何を断ち切って何を大切にするか、不安を恐れずに見つめなおしてください。


↑(引用ここまで)
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…『でも、この「何となく不安で寂しい状態」こそが、人生の本質なのだろうとも思います』。


そう思います。
私たちは、自分の意思とは関係なくこの世にオギャーと産み出され、漠然とした不安の中、生きていかなければいけない。
中世でも、近代でも、何か大きなもの、それは、宗教であったり、天皇であったり、科学であったり、経済成長であったり、それらを信じ、その流れに身を任せることで、「漠然とした不安」「寂しさ」から逃れよう、逃れようとしてきたことが、我々人類の歩んできた道だったようにも思います。


宗教も、科学も信じられなくなってしまった私たちは、もう、各個人がそれぞれの「自分の気持ち」を信じるしかなくなってしまいました。
もう、誰も「これが正しい道だよ」とは言ってはくれません。
誰も、正解を示してはくれません。
あふれかえる情報の中、自分の主義主張と好みによって生き方を選択していくしかないのです。


前時代の規範やモラルは、まだまだたくさん残っています。


ころころと移り変わる「自分の気持ち」をできる限り優先させる生き方をしていくために、古い規範やモラルを捨てていくか。


前時代的な規範やモラルも大切にして、ある程度「自分の気持ち」にフタをして生きていくか。
どんな生き方が自分にとって心地よいのか。


どのくらいの我慢だったら自分は耐えられるのか。


…「人生の意味を自由に選択できる」時代。と、聞こえはいいものの、それは「安心」と「安定」を犠牲にしたうえで成立している、我々現代人にポンと与えられた権利だとも言えます。
手に余るこの権利と、あなたはどうつき合っていきますか?


…『フロン』をテキストとした【哲学】も、今回で最終回を迎えることとなりました。
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