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↓『フロン』(岡田斗司夫著、海拓舎、2001)より引用(10)


もし子どもが欲しくて結婚する場合、少なくとも「子どもをこう育てたい」という具体的なビジョンのある男性を探すべきです。
いつごろ、何人ほしいのか? 子育ての優先順位とは? 頭脳? 健康? 性格? 才能? それを伸ばす具体的な方法論は?
子どもを育てるあなたをどう助けてくれるつもりなのか、どんな役割を果たしてくれるのか、そのために発揮できるどんな能力があるのか。


少なくとも、あなたがこんな話を始めたときに、逃げ出すような相手と一緒に子育ては不可能でしょう。
明解に答えられないまでも、真剣にあなたの考えを聞き、感想を言ってくれる男性でないとお話になりません。
もちろん、あなた自身にこういう考えがないなら、子どもを育てたいという考えはいったん忘れるか、まわりの子育てをしている人に聞き込みを開始するなどの事前調査をしたほうがいいでしょう。


恋愛→結婚→育児がゴールデンロードだった時代は、何も考えずにこの流れに乗っていれば安心でした。高度経済成長はとにかく働けば良かった。バブルのときは何も考えずに株式に投資していれば良かったのと同じことです。


流れに乗るというのは、それほど楽なことなのです。
しかしいまは、恋愛→結婚→育児という流れは渦巻き、逆巻いています。何も考えずに行動にでれば、必ず遭難するでしょう。損をします。不幸になります。相手を嫌いになってしまいます。


↑(引用ここまで)
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…「子どもを持つ」ことと、「教育する」ことは、切っても切り離せないものです。
よく女性と「子どもを持つ」ことについて話をしていると…
「男の子だったら名前は○○。女の子だったら△△がいいな」とか。
「庭付き一戸建てに住んで、家族仲良く食事をするの」だとか。
夢のような話ばかり出てきます。
まあ、それはそれでいいのですが。。
でも、真っ先に出てくる言葉がそういった類いのものばかりだと、なんだか私は不安に思ってしまいます。


…一体、どういう子どもを育てたいのか?
彼女は一体どんな教育方針の下で育てられたのか?
箸の持ち方、魚の食べ方など、食事のマナーはどのくらい躾けるつもりなのか?
「なんでそんなことしなきゃいけないの?」と嫌がる子どもにどこまで強制できるのか?
殴って体に覚え込ますのか、言って諭すのか?
…それはやはり、彼女がどう育てられてきたかに大きく影響すると思うのです。


また、子どもを預けたいときはどうするのか?
預けた先でダラダラとおやつを与えられたりしないように先手を打つには?
おこづかいは?
勉強は?
子どもの自主性とワガママの線引きは?
…なんて話は、まず聞きません。けっこう私と長い付き合いのある女性でも、です。


というか、自分ができてないことは、子どもには絶対に教えられないはずです。
私なんかは、特に女性と話すときには、その人本人の食事のマナーや話し方、コミュニケーションのとり方にどうしても注目してしまうのです。
「美しくありたい」。
「まともでありたい」。
そう思えることと、子ども(他者)を教育できることは、また別だとは思うのですが、まず自分ができなければ、そのスタートラインにすら立ててないのもまた事実なのであって…。


もうひとつ言えることは、「育児」や「教育」はどこまでいっても「強制」・「洗脳」である、ということです。
スポーツのチームが、監督の「理念」をもとにして、チーム内のルールを強制され、洗脳され、体に覚え込まされて強くなっていくように、どこかに誰かの「意図」がないと、その集団は機能しなくなり、バラバラになってしまいます。「何でも自由」の選手まかせのチームを想像してみてください。…なかなか「良いチーム」とは言えなそうですよね。
「家庭」についても、同じようなことが言えると思うのです。
「子どもの自主性を」だとか、「やりたいことをやらせてあげたい」だとか、甘っちょろい言葉ばかりが蔓延している昨今ですが、「家庭」というチームの「理念」(いわゆる家訓ってやつですね)なしでは、奇跡的に子どもの自主学習能力が高くない限り、ちゃらんぽらんな子どもに育ってしまうことは避けられません。


…こういった「教育」と「意図」(家訓)について、一度でも考えてきたか。
…自分自身を鍛えてきたか。
…親から受け継いで来ているものは何なのか認識しているか。


異性に限らずとも、私が他人を判断する、ひとつの基準です。
普段からこんな目で他人を見ているなんて、ちょっと気持ち悪いですね(笑)。。


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