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↓『島田紳助100の言葉』(島田紳助著、ヨシモトブックス、2011)より引用(12)


仕事の部下を弟のように思うことは素晴らしいけれど、弟のように接してはいけません。
彼が何か失敗をしたら、自分がすべてかぶってやるという決意は美しいですが、弟のように接してしまうと、やがて上司としてのカリスマ性はなくなるでしょう。


友達と一緒に仕事をする時も同じで、友達がひとりいなくなったと思わなくてはいけません。
先ほどのような決意は素晴らしいが、そのように行動してしまうと、友達なのかビジネスパートナーなのか、相手は迷うのです。


↑(引用ここまで)
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上司や学校の先生、親。
ついつい部下や生徒、子どもと「友達のように」接してしまいたくなるのですが、「会社や学校、家庭はいったい何をする場なのか?」と目的に照らせば、そこで「友達のように」接してしまうことは、その場では楽しい楽しい「馴れ合い」「仲良くなった感」を満喫はできるでしょうが、「仕事をする」「生徒が卒業後も自分自身で自分を鍛えられるよう、適切な”負荷”をかける」「子どもが親と離れても、他人様に迷惑をかけず、誇り高く生きていけるよう、適切な”負荷”をかける」という目的には「百害あって一利なし」と言えるでしょう。


「普段から仲良く、まるで友達のように接する」ことと、「いざというとき、自分が”監督責任者”として命令や判断を下し、部下や生徒、子どもには有無を言わせない、明確な”上下関係”をつくっておく」ことは、矛盾しているからです。


数年前に、NHKの「真剣10代しゃべり場」というテレビ番組にゲストとして岡田斗司夫氏が出演していた回で、「”敬語”なんていらないんじゃないか?」という10代の発問者に対し、岡田氏はこういう話をしていました。


僕は10年以上「社長」なんてものをやっているんだけど、普段から社員たちと分け隔てなく仲良くしていると、いざ会社が傾いたり危機に出会ったとき、会社内がぐちゃぐちゃになっちゃうんだ。
たとえば、会社の業績が悪くて、社員全員の給料を7割にするか、ひとり辞めてもらうか判断を下さなければいけないとき。
こんな問題を全員仲良く話し合うわけにもいかないし、最終的には誰かが「判断」しなくちゃいけない。
そんなとき、社長が普段から分け隔てなく社員たちと仲良くやっていると、会社としての「命令」なのに、いち社員がそれに「意見」しちゃったり、社員の中で「雇う側と雇われる側」の根本的立場の違いを意識できなくなる奴が出てきちゃったり、ぐちゃぐちゃになっちゃう。
だから、社長は「別に偉くないんだけど、偉いふり」をしてなくちゃいけないんだ。寂しいけど。


…たぶんこんな話だったと思います。


「会社」は「仕事をする場」であって「友達を作る場」ではない。「友達」は他で作ればいい。当たり前のことです。
「仲良くしたい」「和やかな雰囲気で過ごしたい」という個人的欲求を、「その場の目的」「自分の役割」より優先させてはいけない。当たり前のことです。
当たり前のことなのですが、会社でも、学校でも、家庭でも、けっこうな数の人たちが、できていないと思います。「気まずい雰囲気がイヤ」「好かれたい」を優先させていると思います。


毎日24時間、完璧に「役割」に徹しろとは言いません。
少なくとも、部下や生徒、子どもに「あれ? この人は”友達”なのかな? いざというとき、”意見”してもいいのかな?」と迷わせない、勘違いさせないくらいの「目算」を立てて日々振舞いましょうよ、と最近よく思うのでした。


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