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↓『いつも風を感じて』(島田紳助著、KTC中央出版、2004)より引用(02)


車で旅行すると、行くときの道は、長く感じる。帰るときの道は、早く感じる。
初めて見る景色はドキドキして新鮮で、すべてが自分に入ってきて、ひとつずつわかろうとして、心が動く。その時間を、長く感じる。でも、前に見た風景を、もう一度見たときの心はクールダウンしている。もう興味をもって細かく見ようとしない。だから、時間が早く過ぎるみたいに感じるのだろう。


それは人生を生きていくのと同じ。
中学に通っていた頃の一年間は、気が狂いそうなほど長かった。三十代、四十代、五十代と、時間が経つのはどんどん早くなっていく。中学や高校のときの一年間は、たぶん、今のぼくの五年分くらいの時間感覚だった。
あれはなんだったんだろう。ドライブのときを思い出そう。毎日毎日が、初めての道だったのだ。真新しいことに出合い、毎日、毎日、感じて生きていたのだ。起こることすべてが新鮮だった。経験がないことばかりだったからだ。
でもぼくは、もはやいっぱい風景を見てしまった。今は、過去を見ながら、考えながら、それでもあっという間に時間が過ぎる。生きていく毎日が過ぎる。風景が過ぎる。


(中略)


このあいだ「キスイヤ」の収録をしていて、ぼく自身にとってだけの、ちょっとした事件があった。
単に大好きどうしな、高校生のカップルが出ていた。
この番組には、ちょっと信じられないような二股三股女とか、別れたいことを言い出せないまま付き合っていてここで告白してしまおうという男とか、いろんなカップルが出てくる。でも、この二人は、珍しく、なんでもない「ただ大好き」な二人だった。
なんでもない話。お祭りで出会って、付き合っているという。


ぼくも普通にインタビューしていたのだが、突然、しゃれにならん、と思うくらい、涙が出てきたのだ。
……今、泣いたらおかしいやろう……。
心のなかで、客観的にぼくを見ているぼくが、そうたしなめた。本当だ。今泣いたら、客も視聴者も、ぼくがなんで泣いているのかまったくわからない。番組として意味がない。意味がわからんやろう。気持ち悪いだけである。
いっしょに司会している熊谷真実さんも、「ちょっとどうしたの?」という顔をしている。
ぼくは必死になってこらえていた。


その涙の理由は、彼らの当たり前な恋が、ぼくの「初めての沖縄」と同じだと思ったからだ。
この高校生たちは、お互い、初めて付き合った。初めての沖縄旅行でぼくが、なんでもない東シナ海を見ながら「きれい、きれい」ってはしゃぎ回った気持ちと同じなのだ。
今のぼくからすれば、「海の色はもっと澄んだ色になるで」「雲の形がいまいちやな」「これは沖縄の夕焼けにしては、たいしたことはないで」という景色のひとつひとつが、真っ白な心で、初めての恋をする彼らには心ふるえる景色なのだ。
彼らにインタビューしながら、ぼくは、沖縄の夕暮れの景色に、今、感動している彼らから、ちょっと離れたところで、同じ夕暮れを見ながら、感動していないんだ。


ぼくは人生のなかで、もう、彼らと同じ夕暮れを見ることはない。こんなに目を輝かせて、人を好きになってしゃべることはないんや。
そう思うと、涙が出てきたのだった。
ほんまに哀しくなって、せつなくなった。
ぼくは今、誰かを好きになっても「それなりの沖縄」でしかないんやろうな、と。
今、ぼくの周りにはきれいな女の子がいっぱいいる。
もしぼくが二十歳だったら、そんな彼女たちと恋をしたら、はしゃぎ回って、すでに結婚していたとしても、離婚してしまったかもしれない。
それを、二十歳で突然カウンチャベイに行ったり、突然ブセナに行ったりするようなものとたとえよう。
なんべんも沖縄に行って四十代も半ばかというぼくは、カウンチャベイに行ってももう「こんなもんちゃう」と思うのである。


十代の頃は、女の子から電話がかかってくるだけで、胸がキュッと痛かったものである。
中学のとき、ご飯を食べていて、女の子がなんか用事を作って家を訪ねて来ただけで、キュッとなって、おかんに「ご飯、食べてから行きいな」と言われても、「ちょっと待ってくれ」と出ていって、家の前の公園で、二時間半くらい、飯のことも忘れて、しゃべっていた。
何をしゃべっていたんだろう。寒いのも忘れて。
胸がキューっと痛くなりながら。
でも、そのキューっとなるのは、二十歳くらいで終わってしまった。
今度、胸がキューっとなったら、もうそれは……心不全だと思う。


↑(引用ここまで)
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…『ぼくは人生のなかで、もう、彼らと同じ夕暮れを見ることはない。こんなに目を輝かせて、人を好きになってしゃべることはないんや』。


「経験すること」は、「『未経験』を失うこと」なのかもしれません。
恋愛でも、沖縄旅行でも、ドライブでも、勉強でも、「『初めて』の感動」は次々と失われていくのです。


こと恋愛に関しては、私はだいぶ擦れてしまっていると思います。
「自分に恋人がいるという事実」だけで嬉しくてたまらなかったあの頃には、もう戻れないと思うのです。
「異性とお付き合いをする」ということになれば、毎日過ごしているうちに、お互いの要求はどうしても違ってきます。付き合い始めの遠慮や気遣いもだんだんなくなってきます。
週にどのくらい会えれば心が満たされるか。
どのくらい自分ひとりの時間が確保できればストレスなく過ごせるのか。
友達や職場の同僚と会う時間はどのくらい必要か。
毎日(?)どのくらい電話・メールをすれば満足するのか。
記念日的なもの(誕生日・クリスマス・付き合って○年?○ヶ月?)をどのくらい重要視するのか。
これはもう、良いとか悪いとかではなくて、その人その人の経験上で、どうしても心がそう思ってしまうのだから仕方ないのです。そしてそれらがすべて、お互いの譲り合いなしにバッチリ一致するなんてことはあり得ません。


私は、「恋愛」がこの譲り合い作業と気持ちの確認の繰り返しであることを経験してしまっているので、安易に「彼女がほしい」なんて、もう思えないのです。
こんなことを言うと、「そんなことを考えられないような素敵な人がいつか現れるよ」と気休めを言ってもらえるのものですが、いざ今度、胸がキューっとなる時があったとしたら、私も心不全かも知れませんね。。(笑)


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