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↓『えせ田舎暮らし』(島田紳助著、KTC中央出版、1997)より引用(01)
便利とか不便とかいうのは、固定観念の違いだという気がする。
江坂に住んでいた時は、「新御堂」と呼ばれる大きな車道の近くで、夕方メチャクチャに混むから、スーパーに行って帰ってくるのに、車で四十分かかることがあった。
「ジャガイモ一個足らん。買うてくるわ」
で、四十分は頭にくる。
今、能勢の家では、ショッピングストアまで距離にして五キロくらいはある。
そう書くと遠そうだが、信号は二つしかないし、渋滞などないのだから、二十分あれば行って帰って来られる。
ここからショッピングストアが見えない、という気持ちの上での不安を除けば、時間的には能勢の方がよっぽど効率がいいのだ。
問題は、子どもの送り迎えだ。
うちは、駅まで迎えに行かないと、絶対に歩いては帰れない。
子どもたちも文句を言っていても、もうどうしようもないと腹をくくって、お互いコミュニケーションを取って、何時に終わるかを話しあっている。
「あしたは?」
「私はクラブ」
「ゆかのそのクラブは何時に終わる? 何時に待ち合わせしようか」
今の時代、中学生、高校生の生活を把握してない親が多いというけれど、街での生活だったら、わが家もそうなっていたかもしれない。
「うちの子は何してるやらわからへん」
と、ぼくもぼやいていたかもしれない。
しかし田舎暮らしでは、別にあえて聞き出さなくても、子どものことを把握できるようになる。これは、住んでみて初めてわかったことだ。
夜遊びする場所もない。長女が笑って言った。
「夜遊びしたら、鹿に突かれんでぇ」
家族というのは、ほんとうはコミュニケーションして、助け合って生きていくものなんだということが、当たり前にわかるようになる。それは、家族というより、お互い生活というものに立ち向かっていく仲間になれるからだと思う。
ぼくらは「田舎に住む」という一つの同志なのだ。
友だちなら、同じクラブをしているとか、同じ仕事場であるとか、そういう共通の話題がある。街での親子関係がうまくいかないのは、そういう同志としての共通の話題がないせいだ。
たとえば、家といっても、そこに来ているお客さんと同じ。朝と晩、ご飯を食べさせてもらって、毎日泊めてもらって、服を着せてもらって、たまに小遣いまでもらう。それ以外は、自分の時間。
そこまでされるお客さんは、どんどん付け上がる。それが当然になってくるから、もっといい待遇であればいいと思う。してもらって当たり前なのだから、当然、親に対して、何の感謝もなくなる。それどころか、よそのお客さんと比べて「あそこはエエなあ。それに比べてうちは」と、文句を言い出すのだ。
うちは、母親が迎えにきてくれなければ、学校から家に帰ることすらできない。そのために、予め時間を約束しなければらならない。
すべては当たり前ではないのだ。
「あのダイコン、思ったよりエエ感じにできそうやなあ」
「うん、太いで、あれは」
そんな会話もあれば、
「こんな時期にこんなに寒いとは思わんかったなあ」
「そろそろ、暖炉、焚いてみよか」
「薪、いるでえ」
と、何げないこともしばらく会話になる。
もしもチビたちが休みの日に「街へ遊びに行きたい」と言っても、ぼくは「行ってきてエエでえ」と言う。
でも、「何時に帰ってくる」と、駅まで迎えに行くことを約束する。限られた時間だと思えば、チビたちも、その時間をめいっぱい楽しむだろう。
↑(引用ここまで)
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…『たとえば、家といっても、そこに来ているお客さんと同じ。朝と晩、ご飯を食べさせてもらって、毎日泊めてもらって、服を着せてもらって、たまに小遣いまでもらう。それ以外は、自分の時間』。
…『そこまでされるお客さんは、どんどん付け上がる。それが当然になってくるから、もっといい待遇であればいいと思う。してもらって当たり前なのだから、当然、親に対して、何の感謝もなくなる』。
…「感謝すること」、「自分が生かされているということ」は、親元で暮らしていたときから、ずっと感じてきました。
「感謝の気持ちを持てる人間になるかどうかは、3歳までの躾で決まる」と豪語する父に、私と妹は厳しく育てられました。
私が道ですっころんでも、簡単に手は貸さない。私が自分の力で起き上がるまで、辛抱強く待ってくれていました。手を貸してさっさと泣き止ませたほうが親にとってはラクなのに。
私がスーパーで「あれを買ってほしい」とダダをこねても、両親は本気で私のことを置いて帰りました。スーパーの従業員が困っていたほどです。
お小遣いは、小学校6年生から。1ヶ月200円。今でもずいぶん少なかったと思いますが、必要なお金というよりは、「お金の使い方を勉強する」ためのお小遣いだと理解していました。
何か必要なものを買ってもらうにも、父と交渉。お金を出してくれる「スポンサー」を納得させるだけの話術が必要でした。
ご飯を食べるときも、殺生した命をいただくのだから、必ず正座して、家族全員で手をあわせてから食べるのが決まりでした。
それと、光成家では夕飯の片付けが終わった後に必ず家族全員で果物を食べる習慣がありました。
当時はただ単に果物が食べたいから、母に呼ばれて自分の部屋から居間に行っていたのですが、あれは、子どもを部屋に引きこもらせないための、コミュニケーションのための果物だったんだと、今はわかります。
家を出て一人暮らしをするようになった今でも、「自分が生かされている」という感覚はいまだにあります。
自分で自分の食い扶持を稼ぎ、炊事・洗濯・掃除も自分でやり、ガス代・水道代・年金・住民税も払う。
「てめえでガス代も電気代も払ってないクソガキが、生意気なこと言ってんじゃねえ!」と言って育ててもらったおかげで、自分の生活の面倒くらい自分で苦もなく見れる私がいるんだと思えます。
私は、今も「生かされて」いるのです。
