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↓『マムシのan・an』(リリー・フランキー著、マガジンハウス、2003)より引用


一般の男心として、地黒が嫌いということでもない。わざわざ日焼けサロンでゴリゴリに焼きを入れている精神性が気に入らないのだ。


↑(引用ここまで)
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…恋人なんかにあんまりやってほしくないことを正直に話すと、「そーゆーの嫌いな人なんだ」みたいな話になるけど、その行為自体がイヤなのではなく、その下にある精神性が気に入らないから言っているのです。わかりますかね?


たとえば、彼女が「メシ」「食う」「ムカツク」などの、品のない言葉遣いをして、指摘するときもそう。


とかく女は、「そーゆーの嫌いな人」「口うるさい人」と、個人の趣味・価値観の問題にしたがるのですが、そうではなくて、そういった言葉を平気で使える精神性・周りの目を気にしなさ過ぎるセンスの悪さを指摘しているのです。


最近の若い女は特に、自分の品のなさを気にしない奴が多いと思います。


上品な言葉遣いのできる人が、仲良くなってきて、あえてくだけて話すのと、くだけてしか話せないのとでは、人としての奥行きが違うのです。
知識についてもそう。今のご時世、「頭でっかちはカッコ悪い」「バカでも気持ちさえあれば…」などと言って、学がないことを正当化しようとする流れがあるようですが、無知のどこがカッコいいと言うのでしょうか?


自分がどうして毎日ゴハンが食べれているのかわかっていないガキが、それをあたりまえのこととして親にも何にも感謝せず毎日を過ごしているのと同じことです。
我々日本人の生活が、その何倍もの途上国の人々の犠牲から成り立っていることを知らずに、毎日不平不満ばかり言って、より贅沢で快適な暮らしを望んでいるのと同じことなのです。


無知は罪なのです。


無知であるがゆえに、感謝できていないことがある。人に失礼なことを平気でしていることがある。結果、自分の人生の幅を狭めている。
無知は、恥じるべきであっても、誇れることであるはずがないと思うのです。


宗教について知識のない人は、宗教について語れない。
政治について知識のない人は、政治について語れない。
流行ばかりに流され伝統的なものを大事にしない人は、うすっぺらな人間になる。


品性、気遣い、知識までもが「個人の自由じゃん」という発想でないがしろにされている今の流れには、危機感を禁じ得ません。


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