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↓『マムシのan・an』(リリー・フランキー著、マガジンハウス、2003)より引用
ところが、そんな気持ちを携えつつ、電話をしても、わかっていない女というものもいる。
オレは血が乾くほどハードな一日を終え、ふっと君のことを想い出す。夜空の三日月が君の家の方向に向いていた。いくら、世間が醜く流れていても、君の存在を感じることで、オレは強く優しく生きることができるだろう。
煙草に火をつけると、その煙は線を描いて三日月にからまった。”声を聞きたい…”。愛しさが込みあげて、たまらず受話器を取る。
トゥルルルル…。ガチャ。
「あっ、もしもし…。オレ…」
「ああ。なに?」
”なに?”じゃねーだろ!!このバカメス!!つーか、ロマンがねぇなぁ、もう!!
別に、「ジュテ~ム」とか「モナム~ル」とか言えっていってるワケじゃねぇんだけど、”なに?”じゃねぇだろ、マジで!!
用事なんかねぇに決まってんだから。
(中略)
今は携帯電話も普及して、一本の電話をすることに、気持ちさえあれば、何の労力もいらないわけだから、そんなことで自分の気持ち、相手の気持ちがよくわかったりする。そして、情報や連絡手段が発達すると、コミュニケーション中毒になってささいなことが不安の材料になることもある。
会いたい時に会って、話したい時に話して。それは素敵に聞こえるけど、本当は楽チンなだけで自分勝手な道具として相手がいるだけだ。会えない時、一日一本の電話は大切な愛情と労力である。
そこにあって、「なに?」は禁句である。女の方々。
↑(引用ここまで)
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…『会いたい時に会って、話したい時に話して。それは素敵に聞こえるけど、本当は楽チンなだけで自分勝手な道具として相手がいるだけだ』。
…相手を、「いとおしい」と思う気持ち。ここ数年、若者のマネゴトのような恋愛ばかり目の当たりにしてきましたが、是非彼らにこの言葉をぶつけてやりたい。「相手をいとおしく想う気持ち」、「相手への気遣い」が人間性としてベースになければ、それは「恋愛」とは呼ばない。それは、マネゴトです。
自分の気持ちが、イチバンな奴。それ以外に美意識のない奴。
必要なのは、気遣いと品性。
自分が安心したくて、恋人を利用しているようでは、ダメなのです。
