------------
↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(21)


今は粋な大人が少なくなった。
いや、粋な大人はいるんだろうけれど、かっこ悪いやつばかりが目立つようになっちゃった。何でだろうか。


(中略)


銀行の頭取とか官房副長官とかが、女と一緒にいるところを写真に撮られる。
それで「仕事の打ち合わせです」「政治談議をしていました」って言い訳するけど、必死に言い訳すればするだけかっこ悪くなる。
かっこ悪いところを写真に撮るのもメディアなら、かっこ悪い言い訳を増幅して全国に伝えちゃうのもメディアでしょ。
昔の頭取や政治家だって、愛人がいっぱいいたと思うけど、今ほどメディアの数は多くなかった。


実際、週刊誌でもワイドショーでも、その手のメディアには権威を地べたに引きずり下ろすような機能があるからね。
そうすると大衆が気づいて、頭取だって単なるスケベオヤジじゃん、とばれてしまう。


↑(引用ここまで)
------------


…『粋な大人はいるんだろうけれど、かっこ悪いやつばかりが目立つようになっちゃった』。


テレビにラジオに、インターネットニュースに、ブログにツイッター。
情報収集手段の多様化で、どんなアイドルも、隣に住むあの人も、「なんだ、普通の人やん」と知らされてしまう世情を、なんだか最近強く感じます。…はたまた、重ねた歳がそう思わせるのでしょうか。


芸能人を見かけたり、話す機会があっても「なんだ、普通の人やん」「べつに、握手なんてしてもらっても、なあ」なんて本気で思ってしまいます。…私だけでしょうか?
それこそ、この場で何度も文章を紹介させていただいている、島田紳助氏や岡田斗司夫氏に実際に出会っても、彼らには彼らの日常生活やネットワークがあるわけで、わざわざ無理して彼らのネットワークの中に入り込もうとも思わないし、当然私にも日常生活やネットワークはあるわけでして、そんなに暇でもないですし。。
…いや、それは本当に強がりでもなんでもなく、そんなミーハー気分の充足に時間と労力を割くくらいなら、妹の子どもと遊んでやったり、仕事やら公共の場やらで「みつなり」という「粋」を振りまいて生活したり、友人たちとトークをしたり料理を作って楽しんだりする方が、私にとってよっぽど重要な、大切なことなのです。


私にとって「恋愛」も、同じような感覚です。
どんなにすました美人でも、ウンコもすれば鼻もほじるし、「結婚」「恋愛」についてはご多分にもれず洗脳されています。自分のアタマで考えた、現代のパラダイムにとらわれない独自のスタイルなんて、そんなもの持ち合わせちゃいません。
おまけに「何かをしてあげたい」ではなく、「自分を見てほしい」「私を楽しませてほしい」への比重の大きさが、必ず所作のどこかに見え隠れします。
「なんだ、普通の人やん」。
もう(特に若い)異性に、「幻想」なんて持てません。


「経験」と、あふれかえる「情報」が、「かっこ悪さ」「なんだ、普通の人やん」ばかりを浮き彫りにするこのご時世。
当然、私自身も「浮き彫りにされる」ひとりなのですが、そんな世情を先入観なく受け入れ、胸を張って生きられる処世術を実践して生きられたらなあ、とそんなことばかり考えてしまう今日この頃でした。


ペタしてね