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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(14)
詩を書いたりギターを弾いたり、それか売れない漫才コンビでもいいんだけど、とりあえず何かをやっていれば肩書きがつく。
「あんちゃん、仕事何やってるの?」
「詩人です」
「ミュージシャンなんです」
「漫才師です、お笑いです」
今は売れてなくても、一応は何かを志しているんだという、ひとつのグループに入れる。
それで自分自身が安心するというか、才能のないやつを社会が安心させているところがあって、やっぱり世の中は夢を持たないやつのことを、夢を持って生きるやつより下に置くんだ。
でも、夢を持っていようがいなかろうが、才能がなかったらどっちでも同じなんだよ。
何で夢を持っているやつのほうを「いい子」にしてしまうんだろう。
何かひとつだけでも得意なことがあるはずだ、その夢に向かいなさい、夢は必ずかなうって強制して、夢を持たないやつはダメだと言うけどさ、夢を持ったらいけないやつだっているんだから。
「僕は夢なんか持たない」って現実的な考え方で出世したやつもいるかも分からないのに、何でみんなに夢を持たせるんだろうか。
(中略)
「偉い人になりなさい」よりも、「罪を犯すな」「悪いことをしない人になれ」っていう教育のほうがよっぽどいい。
ごく当たり前に、「他人に迷惑をかけない人になりましょう」というのが教育の最大の目標であるべきだろう。
そんなことはこれっぽっちも言わないで、夢とか成功を押しつける今の世の中は、やっぱり下品だ。
↑(引用ここまで)
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…『やっぱり世の中は夢を持たないやつのことを、夢を持って生きるやつより下に置くんだ』。
私も、「○○を目指しています」という人に出会うと、それだけで「すごい」とは思わないまでも、心のどこかで、夢のない奴よりも高く評価してしまっているかもしれません。
それは、「日々コツコツがんばっています」という姿よりも、目に見えてわかりやすいということだけなのかもしれません。
…とはいえ、やはり「そいつがどんな立ち振る舞いをしているか」に尽きるとも思います。
ミュージシャンを目指していようが、東大を目指していようが、そいつが「何かを目指している」グループへの所属感・安心感だけで満足しているレベルの奴なのか。
「何かを目指していない」奴を、そいつの立ち振る舞いも考慮に入れないで「ダメな奴」と決めつけてしまう奴なのか。
そいつの気遣い、「教育」に対するスタンス、「政治」に対するスタンス、何を「どうでいもいいこと」と感じ、何を「大事なこと」と感じて行動しているのか。
また、そう考えるだけでなく、それらを体現して生きているか。
…私はついついこんな目線で人のことをじっと見つめて「評価」してしまうのですが、見た目にわかりやすい「夢を持っています」アピールに惑わされないよう、気をつけなくちゃと思わせてくれた、たけし氏の文章でした。
