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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(08)
みんなテレビが本当はいいかげんなものだってことに気がついてない。
やっと最近になって「大衆を変な方向に引っ張り回すメディアはテレビだ」と言われるようになったけど、テレビ全盛の時代が長かったから、日本人はテレビに間違ったお墨付きを与えられちゃった。
テレビに出てる人は偉い人で、テレビで言ってることは全部正しいというね。
「昨日テレビでこんなこと言ってたぞ」とか「あいつはテレビに出たことあるのか」とか、ものごとの優劣や正否をテレビが決めてしまっている。
下手すると政治だってテレビが主導権を握っちゃう。
(中略)
それにしても、ニュースだってひどいもんでさ。
NEWSって言うわりに新しいことが一個もない。
殺人事件が起きたら被害者は必ず美女で、死んじゃった子は必ずいい子になっている。
明るくて元気な子が死んで、暗くて陰気な子どもは死なないという。
あらゆることが全部メディアのお決まりの台詞で進んでいく。
ニュース番組自体が段取りで、死んだ人のところに来るレポーターも段取りどおりに質問する。
インタビュー受けてるおばさんだって「近所でも評判の美人でした。亡くなるなんてかわいそう」「愛想のいい子なのに、何でこんな目に」とか同じことしか言わない。
間違っても「愛想の悪い嫌な子でした」とは言わないし、言ったとしてもカットされちゃう。
↑(引用ここまで)
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「テレビ」の偏重。
インターネットの発達によりその相対的価値が下がってきてはいるとはいえ、いまだに「テレビに出た」「ニュース番組で取り上げられた」といったことが、「みんなが知りたいこと」「みんなにとって重要なこと」「価値の高いこと」であるかのような受け取られ方がされていることに、私はとても大きな違和感を感じます。
テレビの公共性を考えれば、芸能ニュースに限らずとも「そんなことまで知らさんでええわ!」とツッコみたくなるほどの「個人」情報に寄りすぎた内容やコメントが幅をきかせている現状はおかしいと思いますし、殺人事件の犯人の交友関係まで「最新情報」として堂々と報道されるのは、はっきり言って「異常」です。
「とてもそんなことをする人には思えませんでした」なあ~んていうウソくさい台詞を堂々と流す子ども騙しのメディアに「価値」を置くの、もうやめませんか?
ニュース番組もドキュメンタリー番組も、所詮は庶民のための、ヤジ馬根性を煽るための、「注目」を集めるための、エンターテインメントにすぎないのです。
…だってそのどれもが、「商売」として成り立っている「商業ベース」の内容なのですから。それも、スポンサーの利益に反しない程度の。
…もうちょっと「テレビ」をバカにするくらいのスタンスで「テレビ」と付き合っていったほうが「健全」なんじゃないかなあ、と私はそう強く感じているのですが、みなさんはどう思いますか?
