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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(01)
オリンピックでも世界選手権でも、スポーツの大会を見てて思うのは、いかに間抜けな競技がいっぱいあるかってことだ。
スキーのモーグルが人気らしいけど、俺にはただの曲芸にしか見えない。
スケートだってショートトラックっていうの?
あの狭いとこをぐるぐる回るやつ。
昔の後楽園遊園地みたいなことをしてさ。
ローラーゲームを思い出しちゃった。
お前は東京ボンバーズかって、今そんなことを言っても若いやつは誰も知らないか。
じゃあ何だい、ビーチバレーっていうのは。
何がいいのかさっぱり分からない。
あの海水パンツみたいなユニフォームは、いったいどうなってるんだっていうの。
あんな格好する必要はないじゃん。
水着でバレーボールやるのが立派なスポーツだって言うのなら、「ビーチ体操」があってもいい。あと「ビーチ野球」とか。
ビーチ体操でTバック穿かせて、「思い切り足を上げろ」「食い込みが足りない」ってやれば、もっと客が増えるかも分からない。
↑(引用ここまで)
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オリンピックをはじめとする様々な「スポーツ」は、あくまで「商業ベース」で成り立っているという事実を、私たちはもっと強く意識したほうがいいのではないか、と思うことは多いです。
たけし氏の言うビーチバレーなんかはその最たるもので、ここ最近の(体育館のほうの)女子バレーボールのユニフォームにしたって、選手たちが一生懸命練習して競い合っている「スポーツ」で、ノースリーブに短パンにと、あんなに露出度の高い「コスチューム」で試合をする必要性は、どこにもありません。
また、「野球」がオリンピック種目から除外されたのも「テレビ局の放送時間」「会場の時間設定が読めないこと」が主な原因と言われていますし、「卓球」が21点制から11点制へ変更されたり、バレーボールが25点のラリーポイント制に変更されたのも、同じく「テレビ局の放送時間」の枠内におさめるためです。
テレビ局が放送してくれなければ、スポンサーもつかないため、それは商業ベースの「スポーツ」として成り立たないのです。
…スポーツ選手は、毎日毎日自分の技術や体力を向上させて、ストイックに高みを目指しています。
その姿は感動的だし、素晴らしいことだと思います。
しかし、「観衆からの注目度」と「商業ベース」ありきの「スポーツ」であることを私たちが強く意識していなければ、「テレビ局」や「スポンサー」などの大きな企業の意向や都合ばかりが反映された「見せ物」化された「スポーツ」で世間はあふれかえり、私たち観る側が、与えられたものを何の疑問も持たずにただ消費するだけという構図が進むばかりだと思うのです。
「なぜこうなっているのか?」「他の国や他の時代から見たら、今のこの状況はとても滑稽なものではないか?」という視点。
目の前に「滑稽」や「失礼」が転がっているのに、それに気付きもせず娯楽に興じる「品のない」群衆にはなりたくないと、そう強く思います。
