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↓『学校嫌い』(江川達也・山田玲司著、一迅社、2007)より引用(04)
江川:みんな、家畜教育が大好きじゃない? 自分でものを考えたくないんだよ。ものを考えないし、ものを考えられない人は、極論すれば家畜教育でいいわけ。そういう教育をやれと言われたら、やる自信はあるし、そっちのほうが楽だからね。でも家畜教育では生きがいにならない。
山田:民主主義教育というのは、無茶なことをやっているってことですか。
江川:民主主義というレッテルで言ってしまうけれど、本来の民主主義と世間で言う民主主義は違うからね。
山田:違いますね。
江川:本来の民主主義というのは、民が主(あるじ)の主義だからね。民が主ということは、昔でいう王様なわけでしょう。そうしたら、いわゆる帝王学を全員にやらなきゃいけないってことなんだよ(笑)。
それだったらOKなんだけど、いまの民衆は主にもなりたくない。「主になりたいならこうだよ」と誰かが言ってやらなければいけない。そうすると主というのは軍事学を学ばなければいけない。
山田:でも要は、自分で考えろということですよね。
江川:自分で考える以前に、主は過去になにがあったか分析し……。
山田:そしていまの現状を認識したあとに、どうすればいいかを自分で主体的に考える人を作る。それを、全員ができることが民主主義だと。
うーん、でもどうです、それはできますか? この国は。
江川:できると思うよ。その人のそれぞれなりにね。ただ、それを本当に欲していない人が多すぎると思う。
↑(引用ここまで)
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『民が主(あるじ)』。
誰からも文句を言われたくないけど、自分の好き勝手に生きたいけど、「主(あるじ)」としての義務と責任を負って生きるのはイヤだ、と言わんばかりの多くの愚民であふれかえる日本。
「主(あるじ)」として生きるなら、過去も勉強・分析しなくちゃいけないし、そのうえで現状を知らなくちゃいけないし、自分の人間性も鍛え続けなきゃいけない。…そんな面倒なこと、だれもやりたがらないよなあ、とも思います。
しかし、意外にも江川氏は、そんな私たちが「主(あるじ)」となる民主国家が『できると思う』と言います。
そういえば、彼の作品『ゴールデンボーイ』でも、ひとりの能力ある「カリスマ」金剛寺が神となって家畜国民を治める理想に対し、主人公である「日々勉強」の錦太郎が「誰もが強くしなやかな心を持って、自律して生きられるはずだ」と言っていたシーンが思い出されます。
世の中全体を見渡し、コントロールの一端を担うための「帝王学」。
世界のパワーバランスや戦略、情報のコントロールやマインドコントロールを学ぶ「軍事学」。
こんな偉そうなことを言っている私だって、「主(あるじ)」たる学びが十分だなんて、全然言えません。。
政治や宗教について勉強や分析が十分できているのかと聞かれれば、多くの歴史や聖書などにも触れている私の父には敵いませんし、「売れなければオシマイ」というサドンデス状態で漫画の世界を勝ち上がってきている江川氏ほど、自分を追い込んで楽しむような人生も送っていません。
…そういう意味では、私は「劣等感」のカタマリです。「自分はちょっとは主(あるじ)できてるかな?」と「他人に言うほどできてへんわ。。」の往復の毎日です。
そんな自分自身のコントロールなど乗り越え、「”自立”を欲していない民衆をどうするか」という段階に入っている江川氏をはじめとする先人たち。。
はたして、「自分は”主(あるじ)”として生きた」と言って死ねる日が、こんな私にも来るのでしょうか?
…あなたは、どうですか?
「主(あるじ)」として生きていますか?
「”自立”を欲していない民衆」と、「民主主義」と、どう関わって生きていますか?
