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↓『ぼくたちの洗脳社会』(岡田斗司夫著、朝日文庫、1998)より引用(05)


今、注目されている無農薬野菜や、自然食品ブーム。
昔は人畜無害の表示を信じて殺虫剤をまきすぎ、子供を死なせてしまう母親もいました。しかし今は「害虫は殺すけど、人間には無害な薬品」などこの世に存在しない、ということをみんな感じています。


そのリスクをどれぐらいにみるかは、個々人で差はあります。でも、もし同じ値段、同じ条件で普通の野菜と無農薬野菜が売られていたら、どちらが売れるかなどは考えるまでもありません。化学肥料も同じです。
みんな仕方なく薬品など「不自然な物」を使っています。しかし本当は自然(それもまた、イメージの中の自然なのだけど)がいいと考えているんです。


農薬などの開発をする人たちが、どんなに頑張って素晴らしい農薬を造っても無駄です。消費者たちは「いーや、科学なんかより、自然の恵みの方が素晴らしいに決まってる」と、海原雄山の受け売りみたいなことを言って拒否するだけですから。


↑(引用ここまで)
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…『イメージの中の自然』。


化学繊維の服を身にまとい、原油から作られるティッシュペーパーを使いたくり、ビニールやプラスチックの容器に綺麗に梱包された食品を食べ、どの国も処理に困っている核廃棄物に目をつぶりながら原子力発電によって作られた電気を使い、「やっぱり自然が一番だよね」みたいなことを平気で言ってのける私たち。


すでにじゅうぶん「不自然」に頼らなければ生きていけないのが「人間」という動物であるのに、そういった中途半端な「自然」志向で悦に入る姿を見るたび、私はその人たちに疑いの目を向けてしまうのです。


排気量の多い大型トラックで毎日輸送される「自然食品」「エコ商品」を買っては「地球のためにいいことをしている」なんて思えてしまうのですから、それこそ「不自然」だと思うのです。
…「人間が『快適』を手放さず、少しでも長く生き残っていくためでしょ?」と。


だからといって、「エコなんて意味ないやん!」「自分には関係ない」と開き直って自己中心的に浪費を続けるのもどうかと思うし、逆に「だからこそひとりひとりが地球のために(以下略)」なんて小学校の優等生みたいなスローガンを口にして悦に入るのも、大量生産大量廃棄による資本主義の恩恵を受けて日々生活している自覚を疑ってしまいます。


まずは自分が置かれている状況と「不自然さ」を正確に把握するよう努めろよ、と。
日々自ら学び、自分を戒める「自立心」もないくせに、どこかで聞いたふうな台詞を堂々と口にする無恥ぶりは目に余ります。


かく言う私も、ここ数年必ずマイ箸を持ち歩いていますし、食べ物は米粒ひとつ残しませんし、ティッシュペーパーはほとんど使いませんし、自動販売機も使わないようにしています。
しかし一方で自動車には乗りますし、エアコンも使います。「快適」は捨て切れていません。
…だから、偉そうな顔をして「エコは大事だよ」と他人に勧めることなんて、とてもできないのです。


今、私の関心事は「自然」でも「エコ」でもなく、「不自然」や「既得権益を手放せないこと」です。
「地球のために」なんて口にする前に、自分の生活がどれだけ資本主義社会に埋もれているか注意深く見つめることのできる自分でありたいものです。


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