先日、岡田斗司夫氏のブログのひとつ「レコーディングダイエット2.0のススメ」を拝見していたところ、「レコーディングダイエット」の考え方を他のものに応用できないか? というテーマに対するある読者のコメント「モチベが下がらなければ恋愛も永遠♪?!」に対しての岡田氏のレスが大変興味深かったので、紹介します。
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●恋愛は「相手を知りたい→相手のことがわかった」までの間に発生する期間限定のイベントだよ。そんなものに永遠を求めるのが間違い
注:ここ、もう少し補足しよう。
恋愛のスタート時は「あなたのことがもっと知りたい!」と誰もが言う。そして面白いことに恋愛が終わる時、相手に投げかけるセリフは「あなたのことはもうわかってる」なんだ。
つまり「知りたい」からはじまって「もうわかった」「これ以上はわかりたくない」「わからないけど、もうどうでもいい」で終わるまでの期間に、両者の間にある状態を「恋愛」と呼ぶわけ。
このように「恋愛」とは期間限定のイベントであって、永遠を目指そうというのは最初から無理。
もちろん「恋愛」が終わったからといって別れるとは限らない。「恋」がとれて「愛」になったり、その愛情の「愛」がとれて「情」だけになっちゃう場合だってあるだろう。
でも、すくなくとも「恋愛」というのは「知りたい」という欲求不満状態から生じるストレスの一種だと思う。自然の状態ではなく、一時的な不自然な状態。
「私は恋愛していたい」という人は、このストレスが好きなんだろうし、「恋愛は苦手」という人は、ストレスから快感を引き出せない体質なんだろうね。
あ~、話が流れすぎた。
↑(引用ここまで)
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…恋愛は『期間限定のイベントであって、永遠を目指そうというのは最初から無理』!
…恋愛は『「知りたい」という欲求不満状態から生じるストレスの一種』!
さすがの一言に尽きます。
以前に紹介させてもらった中で、江川達也氏も「恋愛など所詮はレジャー。そのマインドコントロール合戦による波乗り感を楽しめばいい」と一蹴していたことが思い出されます。
私が日本人女性に多い(というかほとんどの女性がお持ちの)「恋愛至上主義」「恋愛・結婚・育児の三位一体主義」にどこかいかがわしさを感じるのは、彼女たちはいったい、この「知りたい → もうわかった」までの「ストレス」状態を欲しているのか、もしくは長いあいだ一緒にいることでの「同志」「パートナー」感を欲しているのか、はたまた「育児に最適な仲間」を欲しているのか、そこらへんが曖昧なまま、そこに「思考」が伴うことなく、「恋愛 → 結婚 → 育児」を妄信している点です。
特に、恋愛が『期間限定のイベント』であるという事実に対しては、「そんなのあなたが『本当の愛』『永遠の愛』を知らないからよ!」とか何とか言って(言わないにしても心の中では何となくそう思って)嫌悪感を示す女性が未だに大多数であろうことは、想像に難くありません。
…いやあ~、2011年にもなって、こんな状況ですよ?w
岡田氏が『ぼくらの洗脳社会』で「自分の気持ち至上主義」=「その場そのときの自分の気持ちに素直に生きることが、正解と思える社会」になっていくよと提言したのが1998年。。
あれから13年……いまだに日本では、「結婚」「家族」「絆」「愛」の方が「自分の気持ち」「個として輝いて生きること」なんかより大切だ、という「倫理観」のようなものが根強いのですから、驚きです。
…いやいや、そりゃあ私だって、「あなたのことが知りたい → もうわかった」というストレス状態は大好きですよ。毎日会いたくて会いたくて、日々の睡眠不足が苦にもならない、あの快感はたまらないっす。。
一方で、長いことひとりの女性と一緒に過ごして、連帯感というか、「パートナー」感というか、「苦楽を共にする」じんわりとした快感も、そりゃあ好きです。
でもだからこそ、「永遠の愛」「生涯の伴侶」なんて聞いたふうなこと言わないで、オリジナリティをもって「恋愛」やら「育児」やらと付き合っていきましょうよ。
「ちゃんと恋愛して、ちゃんと愛し合って、ちゃんと結婚しないと、ちゃんと育児なんかできない」みたいな雰囲気作るの、もうやめましょうよ。
いろんな人の「オリジナリティあふれる生き方」「ちょっと危なっかしい生き方」「とんでもない生き方」を認めてあげられる雰囲気、作りましょうよ。
…私が思うに、岡田氏が恋愛を『期間限定のイベント』と一蹴するように、もう中高生やないんやから、「恋愛」ごときを自分のアタマで考えて客観視できないようでは、他人のオリジナリティなんか、認めてあれられませんよ。
世の中の「倫理観」が言うほど、「恋愛」は万能じゃないし、「結婚」も万能じゃない。
そのことから目をそらし続けている人らがいまだに多すぎると感じているのは、私だけでしょうか?
「世間のマインドコントロールに負けない独自性・自立心」なくして、「他人を認められるフトコロ」は得られない。
「他人を認められるフトコロ」なくして、「自分を自分で認めてあげられるココロ」は得られない。
「自分を自分で認めてあげられるココロ」がなければ、その人がどんな生き方をしていようとも、幸せ感は得られにくい。
私は、もっとみんなが自分勝手に野良犬みたいに生きて、それぞれがポリシーを持って、それぞれが「幸せ感」を噛み締めて死んでいく世の中を、切に願います。
最近の岡田氏の言葉を借りれば、「世の中の人たちの苦痛を0.3%軽減したい」に近いのかもしれません。
…あなたやあなたの周りの人は、「出る杭を打つ」雰囲気に加担する、どこかの誰かが作り上げた「倫理観」に屈服してしまう「思い込み」をしてやいいませんか? 是非、ご一考ください。。
