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↓『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)より引用(19)


だいたい、国の制度で子育てをどうにかしようという考え方は違っていると思うのだ。
昔のように、じいさんばあさん、兄弟……みんなで育てるというのもありだし、学校で育てるというのもあり。
乱交パーティやったらその中の誰かに子どもができて、誰の子かわからないけど、参加メンバーみんなで子育て、というのももちろんありである。
みな、その程度のノリで、もっと積極的に子育てに参加していけばいい。


昔は今のように子育てマニュアルなどなかったから、一人一人が工夫した。
今の時代は、制度を作って国民を保護してやろうと国がおせっかいをしすぎなのだ。
これは子育てに限ったわけではないが、何でもトライアル・アンド・エラーで自由な発想を否定せずにいろいろやってみればよいとオレはいつも思う。


そうすれば、いろいろな人がいろいろなことをやった結果として、何かいい考えが出てくるはずである。
最低限の保護はしてやらなくてはならないが、それ以上はいらない。それよりは国民を精神的に自立させ、失敗を繰り返しながらも子育ての自分らしいパターンを考えていけるように教育すべきだ。
それをせずに、制度と法律で取り締まろうというのは、家畜に対する発想と同じではないか。


↑(引用ここまで)
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『トライアル・アンド・エラー』。


失敗しちゃうかもしれないけど、自由にやってみる、やらせてみる、といった空気、ないですね~。


『学校で育てる』『乱交パーティやったらその中の誰かに子どもができて、誰の子かわからないけど、参加メンバーみんなで子育て』なんて言おうものなら、「なにかあったらどうするんだ!」「結婚もしないで子育てなんて、モラルに反する」とカサにかかって反論する人たちばかりが日本にあふれかえっていることは、想像に難くありません。


「江川氏の言うとおりやわ。いっちょおもろい育児形態作ったろか」と言える人なんて、私以外に知りません。。
あ、ひとりいました。
しばらく前に、愛弟子(?)のS君が「里親の会」かなんかを利用して、みんなで子育てしよう、みたいなことを言っていました。


「そんなの不謹慎だ」「ちゃんと面倒が見られなかったら、どう責任を取るつもりだ」と、今にも聞こえてきそうですね(笑)。
…それほどに、「ちょっと危なっかしいかもしれないけど、自由な発想」を「危ないからダメ」と否定してしまう空気がこの国にあるかと思うと、ゾっとします。


こいつがいわゆる、「出る杭は打たれる」日本気質の正体なんでしょうね。


…そりゃあ、ネクタイしめてりゃ、お客様に「信用してもらえる」確率は高くなるでしょう。
…当たり障りのない、きちんとした言葉遣いをしていれば、お客様からクレームがくることもないでしょう。
でも、そういう「無難」な行動の繰り返しが、いつしかその人に「はみ出さない、つまらない、誰もが”普通”と感じる発想や行動」しかできない人間に仕立て上げていってしまう気がしてなりません。


「この場は、当たり障りのないように」という意識があなたに無難な行動をさせ、そしてその積み重ねが、いつの間にか「いつでも、当たり障りのないようにする」という意識を定着させていくのです。


私は別に、「無難」「周囲に失礼のないようにすること」を否定はしません。
ただ、いくら意識の高い人でも、定期的に「ちょっと自由な発想で行動してみて、失敗して、ちょっと恥をかいてみる」ことをしておかないと、それは「確実に物事をこなせる頼れる人」ではなく、「型はきっちりしてるけど、つまらない人」になり下がってしまうと思うのです。


…少なくとも、江川氏の『乱交パーティやったら…』のくだりに「それもアリやな」と思えるくらいのきっぷのよさがないと、あなたも「つまらない人」の一員ですよ?


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