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↓『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)より引用(17)


多くの人は傷つきたくないから、嘘の自分を作り、本来の弱い自分を守ろうとする。セックスの最中に本当の自分を相手に見せられないのも、それが原因だ。
しかし、傷つかないよういガードすればするほどますます傷に対する免疫がなくなるから、どんどん軟弱になってしまう。だから、少し傷ついただけで、致命的な傷のように感じてしまうわけだ。


「全部真っ裸で打ってくれ」という姿勢で傷つくことを恐れなければ、傷もつくけれど、治りやすい心を培うこともできる。治癒力が身につくようになるからだ。
だから、傷つくことを恐れず、たくさんひどい目に遭い、治癒力を高めていくべきである。
今の日本は、ぬるい人生を送っている人間が多く、みな大してひどい目に遭っていない。
だから、少し何か言われただけで怒ったり、ささいなことでとても傷ついたりする。
そういう人間は、少しは手痛い目に遭わなければ、心の小さい、了見の狭い人間になってしまう。


(中略)


心の治癒力を身につけて、失恋ごときで傷つかないようになるには、行き当たりばったりで生き、ひどい目にたくさん遭うことだ。そして、「もう人は信じない」「もう女とは付き合わない」などと変なところでガードしようとしないことである。女と付き合ってひどい目に遭ったら、いろんな女と付き合い続けろ。
そうすれば、その女がどの程度の女だったか、いつまでもクヨクヨ思い続ける価値があるのかどうかがわかるようになるはずである。


↑(引用ここまで)
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…『今の日本は、ぬるい人生を送っている人間が多く、みな大してひどい目に遭っていない』。
さすがは江川氏、ガツンと言い放ちます。しかし、その通りだと思います。


「小さなことでクヨクヨするな」と人は言うけれど、小さな反省を繰り返して自分を成長させることを忘れてしまったら、それはただの「横柄な人」です。


そういう台詞を聞いて私はよく思うのですが、「小さなことでクヨクヨするな」はあくまでどこかの誰かがクヨクヨして、クヨクヨし続けて、失敗に失敗を重ねて、その人が行き着いた「結論」なのであって、「経験」の伴なわないただの「結論」には、何の意味もありません。
そういう台詞が、自分の血となり肉となっていないのに、簡単に口にできる人間が、私には信じられません。
というか、自分の血肉となっている「経験」から出てくる台詞ならば、どこかで聞きかじったようなものではなく、その人独自の「言葉」であるはずです。
…だから、私はありきたりの台詞や言い回しばかりの人間に、否定的です。いい歳こいて、自分の言葉に「経験」を散りばめて相手に伝えることができないのですから。


その点江川氏は、『行き当たりばったりで生き、ひどい目にたくさん遭うことだ』と、「経験」「失敗」に裏打ちされた生き方を重視しています。
「積極的にひどい目に遭え」だなんて、彼独自の「言葉」としか言いようがないですよね? …そんな台詞、他の人から聞いたことがありません。。


今回は、我々日本人が、いかに口先ばかり、他人の情報ばかりで安穏と生きているか、いかに「失敗」を恐れて生きているか、を想起していただくことを目的に書きました。
それは、何に対しても体当たりで学んできた過去の文明の人たちと比較すれば、容易に想像できるはずです。


住むところがある。コンビニがある。インターネットがある。
そんなぬるい時代に生きる我々だからこそ、『行き当たりばったりで生き』て、リアルな「失敗」から「学習」することを、より意識すべきだと思うのです。


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