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↓『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)より引用(07)
『ブラックジャックによろしく』という医療マンガが売れているようであるが、おそらく読んでいる人間は健康な人間ばかりではないかと思う。なぜなら病気をしている当事者であれば、恐ろしくてとてもこの作品を読む気にはならないはずだ。
病人に対し、薬物を投与して対処療法的に痛みを和らげるだけの医療行為についての描写があるこの作品は、現実の医療現場をかなりリアルに再現しているといっていい。厚生労働省は最新の薬物使用の許認可を行うことを医療行政と勘違いしているようだが、薬物を使って痛みを和らげるだけなら、医療行為というより麻薬をやらせているようなものである。
それは、「患者の苦痛を和らげてやっているのだ」という医師の自己満足行為でしかない。そして、患者には病院にいるから病気から回復できるという嬉しい幻想を抱かせるだけの、いわば一種のエンターテインメントとでも言うべきものである。
もちろんそれは、真の意味で人間を強くするものではない。こんな、人間を堕落させるような医療システムが正しいわけがないのである。それに、一般病院などは老人のサロンと化してしまっているし、一度入院してしまった老人は何もせずベッドの上でただ延命させられているだけであるため、すぐにボケ老人となってしまう。
身体のどこかが悪くなったから病院にかかるというなら、その悪いところを治してやって、前より能力を上げて再び社会に戻してやるというのがオレの理想とする医療だ。つまり、「能力を高める=強化する」という機能において、病院と学校は同値なのである。
↑(引用ここまで)
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…病院や学校が『エンターテインメント』を提供する「客」商売に成り下がっていると、私も感じることは多いです。
患者・子どもを「強化する」。
患者・子どもに「今まで持っていなかった視点・考え方を与える」。
患者・子どもを「独自に情報ソースを持ち、自分で調べ、自分で考える」よう仕向ける。
病院も学校も、こういった「自立・自律」を引き出してやることが最終的な「目的」だということは、誰も異論のないところでしょう。
しかし、患者や生徒よりも多くの情報を持つ医者や教師が、「したくてやってしまう」「言いたくて言ってしまう」場面も多くあると、私は感じています。
結果的に、先に挙げたような「自立・自律」につながらない言動。
たとえば、不確定な最新情報を得たとき、ついつい「話したくて」話してしまう人。
…あえて黙っておいた方が良いかどうかも考えずに、「自分の満足のために」話してしまう。
そんな場面を見るたびに、私は「てめえの『言いたい』欲求をガマンできてないだけのくせに、偉そうに語りやがって」と、その医者や教師の目的意識・「最終的に患者や子どももどうしたいのか」に欠けた言動に異論を唱えたくなるのです。
友だち関係だったら、別にいいんですよ。
耳寄りな情報を得てすぐに、「ねえ、聞いて、聞いて!」って言うのも。
でも、医者や教師がそれやっちゃイカンでしょ、と。
また、親や上司にだって、同じことが言えるとも、思います。
その人が、何を見据えて話しているのか。何を「目的」として話しているのか。
そこに「患者・生徒・子ども・部下をこうしたい」という理念と計算があるのか。
そういった「役割意識」が「話したい衝動」に負けない人って、なかなかいません…。
