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↓『江川達也のニッポンを鍛えろ!』(江川達也著、ぶんか社、2004)より引用(05)
しかし、今最も日本がマインドコントロールすべきなのは、アメリカである。
「逆なら納得できるが、まさか日本が……」と思う者もいるだろうが、あながち机上の空論とは言えない。それはなぜか、説明しよう。
9・11以降、多くのアメリカ人がブッシュ大統領のマインドコントロールにかかってしまったように、アメリカ人は、マインドコントロールしやすい国民と言ってよいだろう。ブッシュ大統領が行ったマインドコントロールは「強いアメリカ」であったが、アメリカン・ドリームの国だけあって、あの国には他の人にない能力をもっている人間を尊敬するという文化がある。能力を見せると、嫉妬して非難したり、バカにしたりする日本人の「出る杭は打たれる」文化とは大違いである。
そこで日本が技術なり、情報なり、社会システムなり、何かアメリカに教えてやれるようなものをもてば、アメリカの日本に対する見方はずいぶん変わってくるに違いない。
例えば、独自の情報ソースをもち、アメリカが知らない情報を日本が独自に入手して、アメリカに提供することができたら、アメリカも「日本の情報力もなかなかやるな」と思うはずなのである。そうして、アメリカが日本と対等な国として一目置くようなことになれば、何もかも自分が一番と信じ、世界の覇権を握ろうとするアメリカ人の心根もしだいに変化するはずである。
現在においても、アメリカで高い能力を発揮している日本人はたくさんいる。アメリカ人は有能な人材に対して惜しみない拍手を送るから、能力のある人間はそれを思い切り発揮することができる。無能な人間ほど出世する日本のシステムを直さない限り、能力のある人間にとってはアメリカの方が居心地がよいのである。
日本でまれに出現する才能のある人間は、奴隷根性がしみついている日本社会でなく、どんどんアメリカへと流出していく。だからアメリカは、実力のある日本人についてその個人を賞賛するものの、日本に対する無能な家畜人という意識はいつまでたっても変わらない。
↑(引用ここまで)
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…『能力を見せると、嫉妬して非難したり、バカにしたりする日本人の「出る杭は打たれる」文化』。
「ちっちゃいなあ、ニッポンジン!」と言いたくなることが、私にはめちゃくちゃたくさんあります。
ちょっと人と違うことをすると「どこで誰が見ているか分からないよ」「もっと大人として常識的な言動をしたほうがいいよ」と、出る杭を打ってくる人たちの、何と多いことか!
逆に、「出る杭を打つ」以前に、自分自身のことで手一杯で、無難に無難に、自分の半径1メートル以内のことだけ考えて生活をしているようなつまらん人たちも、何と多いことか!
…あくまで私の経験による感覚からですが、日本人の大多数がこの2パターン「意見を言う無難君」「意見を言わない(言えない)無難君」に分類できてしまうような気すらしています。
そんなことないって?
「無難」からはみ出して魅力的に生きている人もたくさんいるって?
いや~どうでしょう。。
「こんなふうに(いい意味で)ふざけてもいいんだ!」「この人のはみ出し方に比べたら、自分がちっちゃく見える」なんて思わせてくれる人、ほとんど見ないっすよ。。
…だからせめて、私の周りの(特に若い)人たちが私の背中を見て、「こんなふうに(いい意味でですよ!笑)ふざけてもいいんだ!」「この人のはみ出し方に比べたら、自分がちっちゃく見える」なんて思ってもらえるように、意識して行動しているように思います。手前味噌ですが。。
…私の仕事中の格好や言動を知っている人は意外に思うかもしれませんが、本当のところを言うと、あんなふざけた格好で毎日大勢の目に触れて歩くのは、ちょっと恥ずかしかったりするわけですよ。私もぼちぼちいい歳なので。。信じられないでしょ?(笑)
まあ、私もこの仕事に転職して10年ほど経つわけでして、今となれば、なんというか、職場の一部の先輩や、後輩、若者たちへの啓発というか、「みつなりはふざけてナンボ」という義務感からというか、「相変わらずのふざけた格好・言動」「いつも明るく、場を明るく!」をテーマに、先頭きって戦っているわけですよ。。
わかっていただけますでしょうか?(笑)
…話を戻しますと、そんなふうに毎日先頭をきって戦っている(つもりの)私からすると、「この人すごい! こんなふざけ方もアリなんやな」と思えるような人が、どうにも見当たらないのです。
そこで今回、江川氏の言う「家畜国民」「家畜国家」という言葉が、(私の目から見て)「つまらん人たち」にぴったりだと思って、この内容をかかせていただいた次第です。
…「ふざけて」生きる、「はみ出して」生きる、というニュアンス、伝わっているでしょうか?
私も、100%イヤイヤ戦っているわけではないんですよ、もちろん。
少なくとも年齢的には「オトナ」になってしまった自分への「使命」感というか、「こんな自分でありたい」という理想と「等身大の自分」を近づける努力をしているだけというか。。
何も考えず「100%好きでやっている」わけではない、というあたりでしょうか。
…みなさんは、「ふざけて」生きていますか? 「はみ出して」生きていますか?
みつなりは、今日も、戦っています。
