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↓『男の器量は女でわかる』(里中李生著、三笠書房、2008)より引用(13)



私のところには、不倫に関する悩みを綴った手紙が、女性から多く届く。そのすべてが、「私は不倫をしているが、里中さんに励まされた」という内容で、まるで私が不倫を奨励しているような様相である。
私は不倫をしろとは言っていない。恋愛をしろと言っているのだ。特に、大人の恋愛をするようにと、女性たちには言ってきた。


日本という国は、非常に狭い国だ。狭いのは面積ではなく、器も狭いということである。常に、隣人があなたを監視しているものだ。器量の狭さは、「人と違うことをしてはならぬ」という空気を作り出している。それは、古くからある世襲制度や村意識がそうさせるのである。仕事は、親のものを引き継がなければならない。ならないというか、それが妥当だと本人も思う。他人と違うことをしてはならない。村人は、一生農民のまま、そこからはみ出してはいけない。いけないというか、はみ出す気は毛頭ない。その意識は根強く、現代の日本人の中にも残っていて、人と違うことをすると激しく叩かれるのものだ。出る杭はどんどん打たれ、中には牢屋に入れられる者も出てくる。恋愛においても、不倫はすぐに発覚し、批判の対象となる。そして時には、裁判沙汰となる。


そうした日本人の意識を軽蔑し、または、その村意識に疑問を持ち、人と違うことをしようと生きてきた私にとって、不倫など、些細なことである。


(中略)


私は、
「不倫は悪徳だ」
「里中の奥さんは可哀相だ」
と言われれば、言われるほど喜びに震える。
俺は人と違うんだな、と胸を張れる。


日本という器量の狭い国に生まれたおかげで、里中李生という男が突出することが嬉しい。私は他の国に生まれていたら、普通の男だったかもしれない。


↑(引用ここまで)
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…『日本という器量の狭い国に生まれたおかげで、里中李生という男が突出することが嬉しい』。

人と違うことをすること。

これは一歩間違えると「自分は他人と違うんだ」「自分は凡人より優れているんだ」と、他人の話に耳を傾けなくなる危険性をはらんでいるので慎重に考えたいところですが、私も「人と違うことをすること」「おもしろい存在であること」には概ね賛成しています。


ところが、里中氏だけでなく、多くの人が「日本では人と違うことをすると叩かれる」「出る杭は打たれる」と言います。

…これは私個人の正直な感想なのですが、これがまた本当に、叩かれます。出る杭は、本当に打たれます。
職場でちょっと汚い言葉遣いをしたり、ラフな格好で出勤しようものなら、その日のうちに何人もの先輩・上司・同僚に「それはやめた方がいいよ」「お客様がどこで見てるかわからないよ」「きみのためにならない」「せっかく仕事ができても正当に評価されなくなるよ」「管理職に注意されるよ」とたくさんのお言葉をいただきます。
それはもう、おもしろいくらいに釣れます。


確かに、厳密に言えば、どこでお客様が聞いているかわからないから、言葉遣いは丁寧にした方が良いでしょう。
Tシャツにジーパンで仕事をしていれば、どんなに仕事ができても管理職や上司から評価されないことも多くなるでしょう。
正論です。
…ただ、彼らの忠告に従うべきなのかどうかは置いておくにしても、ちょっと常識の枠をはみ出しただけでこぞって正論を持ち出し、枠の中に納めようとするその雰囲気・意識がこんなにもあるなんて、ちょっと怖いと思いませんか?


里中氏の言うような『…ならないというか、それが妥当だと本人も思う』『…いけないというか、はみ出す気は毛頭ない』といった「事なかれ」気質・「とりあえず無難に行動しよう」とする行動様式にどんどん押し込められてしまう気すらします。

私もなんだかそんな気質が嫌で、ものはストレートに言うし、格好もラフなままでいようと、(無意味な)戦いを続けていますが。。
…ただ、「誰かに言われたとおりにする」のがイヤなだけなのかもしれません。


でもそんな人たちを見ていると、ふと思うのです。
「もしかしたら、自分でも気づかないうちに、(悪い意味で)日本人気質な挙動の制限を自分にかけてしまっているかもしれない」。
「もっと思ったことを言えばいいのに、はみ出るのが怖くて、ただのイエスマンになっているのかもしれない」。
「もっと自由奔放に、もっと独創的に生きられるのに、そんな感覚をすっかり忘れてしまっているのかもしれない」。
私はしょっちゅう、怖くなります。
自分は「日本」に埋もれてしまってはいないかと。



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