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↓『男の器量は女でわかる』(里中李生著、三笠書房、2008)より引用(05)



女を追いかけないと、大事なその女が逃げていくと思っている男も多いと思うが、ちょっと放っておいたらいなくなってしまうような女は、「恋愛」が好きなのであって、「あなた」を好きではないのだ。または、恋愛依存症で、極度の寂しがりやなのである。そんな女もある意味、愛おしいが、
「あたしも懸命に愛して。仕事もちゃんとして」というのは無理がある。
「あたしのことはいいから、男らしく、しっかり仕事をしてください」
と言う女が最良なのであって、そういう女と出会ったら、結婚を考えて交際するのがベストだと思う。大切にして欲しい。


女に、「愛される」「追いかけられる」ことは、男の力になる。
「いつでも、待ってくれている女がいる」
と思えば、仕事にも集中できる。だから逆に、
「会わないと嫌われてしまう。いなくなってしまう」
という女だったら、仕事に集中できないのがわかると思う。


こんな話を書いているが、実は、当の女たちの方は、「追いかけられる」「愛される」ことを望んでいて、なかなか、「追いかけてくる」「懸命に愛してくれる」女は少なくなった。女性向けの雑誌が、そういう恋愛を奨励していて、男に愛されるのがもてる女、いい女だと説いているからである。女性雑誌に限らず、私のように男が主導の恋愛論を語る人はいなくなった。それを言うと、激しく批判されるからである。私も、毎日のように誹謗中傷を受けている。「里中の本は反社会的」というわけだが、女を甘やかすのが、社会的なのだから、奇妙な世の中である。



↑(引用ここまで)
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…『ちょっと放っておいたらいなくなってしまうような女は、「恋愛」が好きなのであって、「あなた」を好きではないのだ』。


私も、今となってみれば、「私」ではなく「恋愛」が好きなだけだったと思しき女性たちとよく付き合ってきたものだなあ、と思い起こします。
まあ、「そういうお前だって、彼女自身よりもセックスが好きだっただけだろう!」と言われたら、それを全否定することはできませんが…。


「恋愛」は、確かに心地よいものです。
しかし、何というか、それはあくまで我々現代人にとって、もはや人生の「オプション」のひとつでしかない、と思うのです。


里中氏も、『どうしても仕事ではなく、女のほうがいいという男は仕方がない。将来の自分の息子に語ってやれるようなこともない人生を送ればいい。恋愛なんか、所詮そんなものである。男の信念など構築しないのだ』と言い放ちます。


巷にあふれる「恋愛」話が、ある種どうでもよく、他人にとってどこか滑稽に見えるのは、「恋愛」なんぞどこまでいっても所詮は人間の「生殖本能」を変形させたものでしかなく、それぞれが勝手に楽しんでやっていればいいことなのであって、他にやることがたくさんある「オトナ」にとって「第一の関心事」になどなり得ない、と私は思うのです。


最近「婚活」なんて言葉をよく聞きますが、「恋愛は女性にとって就職活動」と断言している女性ならともかく、自分や他人の「恋愛」について話したがる人間は、よほど他にやることのない「ヒマ人」としか思えません。


「主人的」で、尽くす価値があり、人間的にも尊敬できる男性。

気遣いと配慮にあふれ、自分のことなど二の次と考えられる、献身的な女性。


「そんな古臭い男性観・女性観を押しつけるな」と頭ごなしに否定するのは簡単ですが、向上心を持って目指すべき姿だと本当に思えませんか? それにとって代わるほどの「自分らしさ」をお持ちなんですか?

自分が男として、女として、どうありたいか。「恋愛」をどの程度に位置づけて暮らすのか。


他人の意見はとりあえず否定するけど、とりたてて代案を持っているわけではない、というような人間ではありたくないものです。。



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