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↓『30独身女、どうよ!?(岡田斗司夫著、現代書林、2001)』より引用(42)
今は、好きな仕事を、納得する形で進めることができます。自分が仕事を変えたくなったら、いつでも変えることもできます。しかし結婚したら、家事も仕事になってしまいます。すると今までのあなたの仕事は、もう自由にはいきません。子供が生まれたのに保育園が空いていなければ、仕事は続けられません。夫が転勤すれば、一緒に引っ越して仕事をあきらめることになるかもしれません。「他の人が結婚し、子育てしていて、それを母親の世代が誉めるから、なんとなくやってみたい」という理由だけで結婚して、これらの自由を本当に手放したいですか?
あなたが不安なのは、あなたが”自立していて、本当に自由”だからです。
今あなたは、あなた自身に責任を持っています。
それは、立派で素晴らしいことです。が、自由だというのは、言い換えれば、孤独で不安なことでもあります。その不安とは、「私ってこれでいいの?」「人生ってこれで終わりなの?」というような根元的な不安のはずです。そしてその不安は、人間として生きていれば「あって当然」の不安なのです。
この不安から逃れることはできません。お釈迦さまだって数千年前に「ああ、この不安はあって当然で、逃れるすべはないわ」と喝破して死んでしまいました。この不安に解決策は「絶対に、永遠に、ない!」のです。
↑(引用ここまで)
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…『他の人が結婚し、子育てしていて、それを母親の世代が誉めるから、なんとなくやってみたい』?
女性の結婚願望と焦りの発信源は、結局そんなところでしょうか。
お釈迦さまでさえ拭えなかった『「私ってこれでいいの?」「人生ってこれで終わりなの?」というような根元的な不安』と、どう向き合っていくのか。
「結婚」して一生「被保護者」となり、ずっと「大人」にならないことで、その「不安」から目をそらし続けて「子ども」のまま生き続けるのか。
それとも一生「大人」「自立した一個人」として、「不安」と対峙しながら生き続けるのか。
「自由」には、もれなく「不安」がついてくる。
「隷属」には、もれなく「安心」がついてくる。
そのどちらかしかない、と思うのです。
ドイツの思想家ハンナ・アレントが言うには、古代ギリシアの哲学者たちは、「自由」に思索にふけることに「不安」や「孤独感」がついてくることを、当然の代償と考えていたそうです。いや、「代償」どころか、その孤独感を誇りにすら思い、「独居(solitude)」=「独りでいることを楽しむ」が彼らの生活スタイルだったというのです。今で言うところの、「頑固じじい」でしょうか(笑)。誰に何と言われようと、自分のスタイルを変えない。媚びない。
逆に、「不安」や「孤独」を克服できず、群れないではいられない人たちのことを「奴隷的」と蔑み、その状態を「孤独(loneliness)」=「ひとりでいて寂しい」と評したと言います。
…ひとり誇り高く生きるのは、やっぱり寂しいのです。それは、数千年前から変わっていない事実なのです。
「結婚」は、ひとつの「チーム」を作ることに等しいと思います。
「チーム」である以上、そこには明確な「リーダー」が必要です。
全員(夫婦や子ども)が対等に、自分勝手に意見の言える「チーム」なんて、聞こえは良いですが、結局はただの「個人の集まり」に過ぎませんよね。
女だろうが男だろうが、自分が「主人(リーダー)」であるなら、自覚して行動しろよ、と私は言いたい。「リーダー」は、「責任」と「孤独感」を背負って当然なのです。
逆に、自分が「主人(リーダー)」でないのなら、サポート役に徹しろよ、とも私は言いたい。自分は「家族(チーム)」をまとめる能力に劣るのだから、相手を立てる。黙って従う。もし不満があるなら、自分がリーダーを買って出るべきです。自分でその「責任」と「孤独感」を背負え、とそう思うのです。その覚悟もないくせに文句ばかりたれて、自分から代案を出さない輩は後を絶ちません。。
…学校の「部活動」を想像すれば、わかりやすいと思います。
「部活動」、特に活動目標が明確な運動部においては、監督や部長(リーダー)の指示は絶対です。
もし一部員が「指示が間違っている」と思ったとしても、いちいちその場その場で反抗することが認められるとしたら、それは「チーム」として成立しません。
それでも従えないのなら、自分からそのチームを抜けて、自分で「責任」と「孤独感」をもって「チーム」を作るか、もしくは「個人」として生きていくほかはない、と思うのです。
「チーム」とその目的達成を第一に考えることと、誰が「リーダー」なのかをはっきりさせておくこと。「リーダー」には、指示を出す「責任」と「孤独感」が必ずついてまわること。
岡田氏は、「おかしい」と思ったことでも、「家族(チーム)」のために黙って指示に従うようには育てられていない私たちなのだから、「結婚」して「家族(チーム)」に属するのはリスクが高すぎる、「個人」として生きた方が生きやすいのでは、と提案しているのです。
「チーム」の命令系統と「責任」「孤独感」についての理解と対応に長けた人でないと、「結婚」というチーム作りへの参加は難しそうです。。